麦・甲骨

リスナーの方から質問を2つ受けました。一つは、食べる「パン」について。「パン」という言葉に漢字はあるのでしょうか。もう一つは、競馬の「皐月賞」という時に使われている難しい方の「皐月(さつき)」という字について、どういう成り立ちなのかを知りたいですという質問でした。

どちらも日常生活の中でのちょっとした漢字への引っかかりです。でも、このラジオを聞いておられなければ、そんな思いを抱かれることもなかったかもしれないと思うと、漢字に引っかかりを持っていただいたことが、なんだかとてもうれしいです。

ということで、今日は「パン」の漢字の話をします。(皐月の話は5月に入ってからの回でさせてもらいます。)

皆さんご存じかもしれませんが、「パン」はポルトガル語です。いわゆる外来語です。日本には鉄砲の伝来と同じ時期、戦国時代(1543年)にポルトガル人によってもたらされました。古くは、「蒸餅」・「麦餅」・「麦麺」などと表記されていましたが、今はカタカナで「パン」と書くのが一般的です。ちなみに、中国では「パン」のことを漢字で、「小麦で作った麺で包む」と書いて「麺麭」と書きます。今は、簡体字で「面包」と書いたりします。(この辺りは光部さんの出番です)

西洋では「麦」を材料としたパンは文明の始まりから作られていましたが、中国にはありませんでした。中国にも古くから「麦」はありましたが、本格的に食材として使われるようになるのは、漢時代(今から1200年ほど前)からだと言われています。製粉技術とともに「小麦」が西国から伝えられたことで、それまで「アワ」や「キビ」で作られていた「麺」が「小麦」で作られるようになり、「麺」の世界に一大革命が起こったと言います。小麦が入ってきても、中国では「パン」に置き換わることなく、麺が主流でした。

麦・甲骨

麦・麥/甲骨3300年前

麦・篆文

麦・麥/篆文2200年前

さて、「パン」の材料となった「」という字は、すでに3300年前の甲骨文字の時代からあります。その「麦」という字は「立っている麦の姿」= 立っている麦 と「上から降りてくる足の形」= すい「夂(すい)」とを組み合わせた字です。麦は、早春に麦の芽を足で踏みつける、麦踏みの作業をすることで知られています。足で何回も芽を踏みつけ、根の張りをよくし、丈夫に成長する強い苗にすることを目的に行なう作業です。その足で踏みつける形が、「上から降りてくる足の形=「夂(すい)」なのです。「麦」という字は、文字通り、麦踏みをする栽培の特徴を表した字です。

来・甲骨

来/甲骨3300年前

来・篆文

来/篆文2200年前

もう一つ「立っている麦を横から見た形」から生まれた字があります。これも3300年前に生まれた字です。「くる・きたる」というときの「」という字です。どうして「立っている麦の形」の字=「来」が「くる・きたる」の意味を持つようになったのでしょうか。

それは、「くる・きたる」を表わすことば(ライ)に漢字がなかったので、そのことばと同じ「音」を持つ麦を表わす「来(ライ)」の字を借りて、「くる・きたる」の意味を持つ漢字にあてたということです。このような漢字の作り方を、仮に借りると書いて仮借(かしゃ)」の用法といいます。物の形で表すことが出来ない抽象的な意味を持つ漢字はこの方法がよく用いられました。方角の「東西南北」を表わす漢字も「仮借」の用法の字です。

「ムギ」と「来る」は意味の上ではつながっていませんが、「来」の字を見ると立っている麦の姿が浮かんできます。おそらく、「ムギ」を表わす漢字は、最初、「来」の字だったのではないでしょうか。その「ムギ」を表す漢字が「来る・来たる」の意味で用いられるようになったので、現在の「麦」の字を新たに作ったということかもしれません。

米・甲骨

米/甲骨3300年前

実がついている イネの穂の形

粟・篆文

粟/篆文2200年前

(あわ)の実のある形

黍・甲骨

黍/甲骨3300年前

(きび)と水との組み合わせ。黍を原料とした黍酒を示す

漢字を創った人々が生きた時代=殷の時代には、「麦」の他に「米」・「(あわ)」・「(きび)」の漢字が残っています。おそらく、これらの穀物を食べたり、加工したりしていたことがわかります。現在、「米」以外は、日常的に食べることは少なくなってしまいましたが、大阪の「粟おこし」(名前は粟ですが、原料は米です)、岡山の「黍団子」、「黍餅」等としてかろうじて名前を残してくれています。

*五穀(米・麦・粟・黍・豆)

麦の花

大麦(の花)が咲いていました。

放送日:2021年4月26日