果

京都には、はるか昔、遣唐使が中国(唐)から伝えたという古いお菓子が残っています。当時「からくだもの」と呼ばれた唐菓子で、祇園にある「亀屋清永」がその製法を今に伝えてくれています。

古くは、天台宗や真言宗などの密教系のお寺のお供え物として使われていたようで、一般民衆はとても口にできるようなものでなかったとお品書きに書かれていました。

そのお菓子の名前は、「清浄(せいじょう)歓喜団(かんきだん)」(写真を参照)と言います。

清浄歓喜団

確かに、「お菓子」らしからぬすごい名前がついています。かつては1日と15日しか製造されていなくて、その日の直後にしか買えないお菓子でした。今も昔のままの姿を残すお菓子だそうですが、不思議な形をしたお菓子です。口を紐できゅっと絞った巾着袋のような、あるいは、火炎土器を模したような形をしています。なるほど変わった形状をしていますが、いかにもお供え物に使われた日本のお菓子のルーツの威厳を感じさせます。

「亀屋清永」のHPには、

『清め』の意味を持つ7種類のお香を練り込んだ『こし餡』を、米粉と小麦粉で作った生地で金袋型に包み、八葉の蓮華を表す八つの結びで閉じて、上質な胡麻油で揚げてあります。
伝来当時は、栗、柿、あんず等の木の実を、かんぞう、あまづら等の薬草で味付けしたらしく、小豆餡を用いるようになったのは徳川中期の後と伝えられています。

と書かれています。

これが京都の「ご当地お菓子」(本日のラジオのテーマです)と言えるかわかりませんが、お菓子のルーツを知る上ではとても貴重なお菓子です。お菓子のルーツは「くだもの」です。「乾したくだもの」がお菓子の始まりです。紹介した「清浄歓喜団」も、古くは栗や柿、杏などの木の実を薬草で味付けしたものだったと書かれています。

日本に中国のお菓子「からくだもの」が入って来たのは奈良時代ですが、それから2000年あまり前に、すでに中国には桃や栗や蜜柑(みかん)(柑橘類)、林檎などの果物があったことがわかっています。

果

果/金文3000年前

果物の「」の古代文字(金文)は、「田」と「木」との組み合わせです。木の上に「木の実」がなっている形からできた字です。上側の「田」のパーツが「木の実」を表しています。丸い形の中に十字に境目が入り、その一つ一つの部屋に種のような点々が入っています。それは蜜柑の断面図に似ています。木の上にある木の実はおそらく蜜柑です。

ということで、「果」は「木の上になっている蜜柑の実」の形からできた字です。「蜜柑の木の実」を表した漢字が、やがて、「木の実」一般を表す字になったのです。ですから、「果実」、「果物」と使われるようになりました。

また、木の実は、枝に芽が出て、花が咲き、やがて実をつける、その一連の最後の段階を表すので、「果て、果たす」の意味となり、「結果」とか「成果」等と使われるようになりました。

課・篆文

課/篆文2200年前

さらに、「果物」の「果」は、蜜柑のように小分けした部屋を持つ果実でしたので、役所などで人々が分かれて仕事をする部署のことを指すようになりました。「言べん」に「果」をつけて総務課、経理課、福祉課などと使う「」という字が生まれました。人々が話をしながら役割を分担して働く姿が、うまく「言べん」に出ています。

他にも、細かく粒になった顆粒(かりゅう)状の薬の「」にも小分けしたという意味の「果」があります。(おびただ)しいも、「細かく分かれたもの=果が多く集まっている」の意味で使われています。

はるか昔の人々は、木の実をドライフルーツのように乾して保存がきくように加工したり、「干し柿」のように自然の力で甘くして「木の実」を食べたりしていたに違いありません。それこそ、お菓子のルーツです。本来なら、木の実を表す「お果子」と書いてもよかったはずですが、「果」は木の実以外の意味でも使われるようになったので、木の実であることを表す「くさかんむり」をつけた「菓」の字を新たに作ったのです。その字のおかげで、お菓子のルーツが果物であることはちゃんと現代まで残してくれました。

 

清浄歓喜団外箱清浄歓喜団

清浄歓㐂(喜)団(せいじょうかんきだん)

*上側は固いかりんとうのようです、袋状のところにこし餡が入っています。香が練り込んであるので、かすかに独特の匂いがします。

放送日:2021年5月24日

 

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