今日はアフパラ「川柳コーナー」のテーマ「肩書き」に便乗して「名刺」を取り上げます。
今では肩書きを示す一つのアイテムとして欠かせない「名刺」ですが、名刺はいつごろだれが始めたのでしょうか。
白川靜先生によると、一番古くは、今から2400年~2200年ほど前の中国の戦国時代だったのではないかと言われています。中国の戦国時代といえば、多くの国が群雄割拠した時代。それぞれの国が、できるだけ良い人材を広く集めて、自国を強くし、他の国の上に立ちたいとしのぎを削った時代でした。現在の国際社会のように、あちこちの国から人材を求める開かれた時代でもありました。
ですから、我こそはと思う思想家、政治家、文人などなどは、様々な国に自分を売り込こもうと奔走しました。(魯の国を追われた孔子もその一人でした。)その時使われたのが「名刺」だったのです。
まず仕官したい先の人に会ってもらわなければならないので、「どこの誰か」とわかるように、名前を書いた板を渡したのです。この板のことを「刺」と言いました。素材は変わりましたが、ここから名刺は生まれ、今も私たちは肩書きと名前が書かれた名刺を使っているのです。(紙の発明は約1900年前の後漢の時代です。)
名/金文3000年前 |
刺/篆文2200年前 |
「名刺」の「名」は「夕」と「口」との組み合わせです。「夕」は「夕方」の「夕」ではなく、「神に供えるお肉」。「口」は願い事を入れた器の (さい)です。子どもが生まれて、しばらくすると、産土の神社に宮参りに行きます。生まれた子どもの名前を神に告げ、一族の仲間に加わったことと、ご先祖様のご加護で健やかに育つようお願いする儀式をおこないました。「名」は、その時にお肉を供え、 (さい)に願い事を込めてお祈りした、その儀式の名前から生まれた字です。
「刺」は「朿」と「刂(りっとう)」とからできています。「朿」は「先の鋭くとがった木」、「刂」は刃物、ナイフの形です。先をナイフでとがらせた木で、ものを突き刺すことから「さす」の意味で使われるようになった字です(刺殺、刺客など)。おそらく、そのように木をナイフで削って名前の書ける薄い板を作ったことから「名を書く刺」ということで「名刺」となりました。
策/篆文2200年前 |
ところで、「朿」をパーツとした仲間の字に「策」があります。策は「朿」の上に「竹かんむり」がついています。この策は、はじめ「馬のむち」を表したようですが、その後、文字を記す竹や木で作った短冊の札(竹簡・木簡)を表すのに使われ、それがやがて「はかりごと」の意味にも用いられるようになり、「策略」・「政策」・「対策」などのように使われるようになりました。
さて、白川先生によると「名刺」の使用は戦国時代までさかのぼれるのですが、それが記録に残っているのは、もう少し歴史がくだった「漢」の時代(紀元前206年~紀元後220年)になってからです。それでも、今から、2000年ほど前です。その頃には、「名刺」を渡して人に会いたいわけですから、お目にかかりたいという意味を込めて「謁見」という時に使う「謁」とも言われていたようです。
もちろん、現代のように多くの人が「名刺」を持っているという時代ではありませんでしたが、中国で使われ始めた「名刺」には長い歴史があります。ただ、名刺が使われる時代というのは、ある意味、誰もが登用されるチャンスがあるという時代背景が必要だったのかもしれません。後の時代になりますが、中国では「科挙」の制度など比較的広く人材を採用するシステムが、社会に組み込まれていました。そうしたことも、「名刺文化」を残す理由になったのかもしれません。
では、日本ではどうだったでしょうか。一部の人が「名刺」を使うようになったのは、江戸時代の中期以降だそうです。江戸時代の初期、各藩が体制作りに励んでいる間は、なかなか人の交流を行うことがなかったようですが、それが次第に安定してくると、「お抱え」の学者や文人の往来が多くなり、自己紹介用に中国にまねして名刺を使うようになったらしいです。もちろん、明治以降日本でも次第に社会に浸透し、交流というより、儀礼的、あるいは、経済活動の一環として「名刺大国」と言われるような状況を呈するようになりました。
「名刺」の起源をたどれば、もとは「名前を書いた板」でした。その板の名残りを2000年以上の時を経て、「名刺」という字の中に見つけることができるというのも、漢字のすごいところです。
※白川先生の『桂東雑記Ⅲ』(平凡社)に「名刺」と題した小文があります。今回その文章を参考にしました。
放送日:2023年3月27日
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