京の宿「石原」は中京区柳馬場通姉小路上ルにある。この道はこれまで何度となく通っていたのに板塀に掲げられたこの旅館名が古代文字で書かれていることに気づかなかった。
横を歩く妻に「この字、古い文字じゃない」と言われてハッと気づいたのである。「石原」という字の古代文字と現代の文字との字形差に気づいていなかったのである。字のシンプルさゆえか、この古風な旅館のたたずまいとあまりにマッチしているからかよくわからぬが、ご主人のさりげない字形の選択におそらくほとんどの人はそれと気づかない。
漢字は今から三千年以上前の中国で誕生した。亀の甲羅や獣骨に刻んだ甲骨文字(3300年前)から青銅器に鋳込まれた金文(3000年前)、そして秦の始皇帝によって統一された篆書体(2200年前)へと続く。「石原」の「石」は金文、「原」は篆書体で書かれている。私たちは三千年も前の漢字を何の苦もなく「イシハラ」と読む。現在に至るまで字形に変化はあってもちゃんと認識することができる漢字の魔力である。
「石」は古代文字では厂(かん)と左右に角が生えた (口・さい)の字との組み合わせ。厂は切り立った崖のような場所を示す。 (口)は口耳の口ではない。神様への願い事を入れた器( )である。山の中にある大きな岩石は神の宿る場所と信じられていた。切り立つ崖のような岩石の前に口( )を置いて神を祭ったのである。石とは神として祭られた「いし、いわ」をいう。のちすべて「いし」の意味に用いられるようになる。
「原」は崖の間から水が流れ落ちる形を表す。どんな大きな川であってもこの崖の割れ目の一滴の水から始まるのである。それで、原は「みなもと・おおもと」の意味となり、物事の「はじめ、もと」の意味となる。白川説によると原が「原野」の意味を持つようになったのは同じ音を持つ (げん)という字の意味を取り入れたからだそうだ。 は狩場で狩猟の成功を祈る儀礼のことをいい、その儀式を行う場所が草原の地であったので「はら」の意味を持つようになった。その意味を「原」がもらい、もっぱら「はら」の意味で使われるようになったので、「さんずい」をつけた「源」という字を新たに作り、もとの意味を表す字としたのである。
京都にはさりげない外観だが、内に入れば「へぇ、そうだったんですか」というようないわれのある宿が今も至る所にある。「石原」もそうした宿に違いない。
古代文字
(石/甲骨・金文・篆文)
(原/金文・篆文)
2016年7月12日 at 1:01 PM
「石原」は中京区柳馬場通『姉ノ小路』上ルにある。
とありますが、ボクの小さい時から『姉(ヤ)小路』と言っていました
古くは『ノ』だったのですか・・・?
2016年7月17日 at 1:25 AM
東の慶様
ご指摘ありがとうございます。おっしゃる通り「姉小路」は「あねやこうじ」と呼ぶのが今でも一般的かと思います。
古く江戸時代には「あねのこうじ」という言い方もあったようですが、今は前記のような言い方が普通ですし、そもそも「カタカナ」の「ノ」は私の変換ミスですので、訂正をしておきたいと思います。姉小路通沿いで生まれた妻は「昔は『あねやこうじ』といっていたけど、最近は『あねこうじ』という人も多いんと違うかな。『あねのこうじ』とは言わんでしょ」とそっけない返答でした。
私のうかつな言葉の使い方をご指摘いただきありがとうございました。以後心して文章を見直します。
ゴット先生