(鹵 金文3000年前)
*鹵・・・塩を入れる籠状の器に、塩を盛った形。鹽。
前回(110回)「桃」が魔除けの力を持っているというお話をした折に、リスナーの方から「塩」が「清めの塩」のように使われるのも塩に「魔除け」の力があるからですかという質問を受けました。
はるか昔の中国で、「塩」が「清めの塩」という使い方をされていたかというと、おそらくそうではなかったと思います。これは多分に日本的な風習として伝えられてきたものではないかと思っています。
ただ、「穢れを祓う」、「邪気を祓う」という行事は、古代中国でも行われていました。人が悪いことをした場合、病気になった場合など、その人が悪いのではなく体に悪いものが取りついて、それが悪さをしたのだと考えられていました。そうした悪いものが体に入り込んだのなら、その悪いものを追い出せば治ると信じていた時代です。個人だけでなく国がそのような悪いものに襲われることもありました。例えば、疫病の流行や自然災害に見舞われたときです。その時は国を代表してお祓いが行われることもありました。そうした穢れを祓う儀式で用いられたのが、弓矢であったり、火であったり、水であったりしました。
医/篆文2200年前 |
赤/甲骨3300年前 |
弓矢の力で病気を治すお呪いをしたことから「医者」の「医」には「矢」が入っています。火の力についても、以前「火渡りの儀式」で厄除けが行われていることを報告したことがあります。「赤」という字は「火の力で清められている人の姿」からできた字です。赤の字の入った「赦免(罪をゆるすこと)」の「赦」という字があります。
中でも、水は穢れを祓うには強い力を持っていました。穢れを水で洗い流す風習は、日本のあちこちで残っています。京都の上賀茂神社では半年間の穢れを祓う6月30日の夏越大祓の行事で、身体の悪いところに触れた紙の人形を、境内を流れる「ならの小川」に流して、無病息災を願う「ひとがた流し」の行事が行われています。
日本では古くから水に流して穢れを祓う「お祓い」は、様々なところで行われてきましたが、6月30日と12月31日には、半年間の国中の穢れを祓う特別な「大祓」という行事が行われました。やがて宮中や神社での行事になっていきますが、とりわけ、すべての水の流れ行く先である海辺で執り行われる「大祓」が、清めの効果が最もあると考えられていました。ですから、山の地域の人々は、穢れを祓う効果を得るために海辺に行って儀式を行う「浜下り」ということまで行いました。
しかし、それは大変な労力です。そこで考え出されたのが、山の中でもどこであっても「海辺」と同じ効果を持つようにするために、海のシンボルである「塩」を捧げて、お祓いの儀式を行うということでした。塩があれば、海辺と同じ効果が得られると考えたのでした。これが、「塩」が清めの塩になっていく発端だと、白川静先生の『中国古代の文化』(講談社学術文庫)という本に書かれています。白川先生の本には古い日本の風習として書かれているので、塩を使った清めの風習は日本オリジナルだと思われます。
水を用いて穢れを落とす方法は「禊」と呼ばれ、今でも滝に打たれるとか、水を浴びるとか、水の中に入る「水行」等の中に残っています。そのことを表した漢字があります。
攸/篆文2200年前 |
修/篆文2200年前 |
悠/篆文2200年前 |
それが、「修行」の「修」。「修」は「攸(ゆう)」と「彡(さん)」との組み合わせ。攸は人の背中に水をかけて洗う形です。禊を行うことを表します。その「攸」に清められたことを示す「彡」を加えて「きよめる、おさめる」等の意味を持つ字となりました。
その「攸」に「心」を加えると、心身が清められ、心安らぐ様子を表す「悠然(物事に動じないでゆったりとしている)」という時の「悠」という字になりました。
ということで、今日は、塩を清めの塩として用いるようになった経緯を紹介しました。
穢れを祓う大きな行事が海辺で行われたこと。その海辺で行ったお祓いの効力をどこでやっても同じようにするために「塩」を用いるようになったこと、そのことが清めの塩になっていく発端だったというお話でした。一つの起源として参考にしていただけるとありがたいです。
放送日:2019年3月25日
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