真夏のこの時期に、コロナ禍ゆえに、海にも山にも喜んで出かけられない。この歯がゆさ、この「うらめしさ」を誰にぶつけたらいいのか、「ええい、うらめしや、コロナめ!」と思わず口に出したくなりました。今日は、つい口をついて出てきそうな「うらめし」にまつわる日本の言葉を探ってみます。
真夏のお化け屋敷の常とう句のような「うらめし」ですが、「うらむ」とか「うらみ」と同根の言葉です。(「うらめしい」は形容詞。「うらむ」は動詞。「うらみ」は名詞です。)呪いをかけるにはうってつけの言葉たちです。「うらむ」とは誰かを憎んだり、誰かに腹を立てるときの感情です。
「うらむ」と同じ系列に「うらやましい」とか「うらやむ」という言葉もあります。「恵まれた状態にある人に対して、自分もそのようにありたいと願う気持ち」を表わすと白川先生はおっしゃっています。相手が自分の持っていないものを持っていたり、手に入れたりすることに対して「ねたむ。嫉妬する」気持ちを表します。
「うらむ」にせよ、「うらやむ」にせよ、どちらも、心ひそかに憎んだり嫉妬したりと良い感情を表わす言葉ではありません。
心/篆文2200年前 |
「うらめし」・「うらむ」・「うらみ」、「うらやましい」・「うらやむ」等、「うら」から始まる言葉たちですが、これらに共通して用いられている「うら」とは何を表わす言葉でしょうか。
ヒントは「うらやむ」という言葉にあります。「うらやむ」の「やむ」は、病気になるの「病む」です。ということは、「うら」が「病む」ということです。「うら病む」の「うら」は何かです。
白川先生の著作『字訓』を調べてみると、古く、日本語では「うら」は「心」を表わしたと書かれていました。ということは、「うらやむ」とは「心が(を)病む」ということです。健全ではない感情が心に沸き起こることを「うらやむ」といったのです。
ということで、「うらめしい」も「うらむ」も「うらみ」も「うらやましい」も、ほんとは持たないほうがいい感情なのです。憎む心もねたむ心も生まれないほうがいい悪感情です。そんな悪感情が心に芽生えることは、心が病んでいる状態だと古代の日本人は考えたのです。すごい想像力ですね。それを「うらやむ」といったのです。
「うらは心」。それで、納得できることがあります。漢字のルーツは「卜占(亀の甲羅のひびによって神意を問うこと)」からですが、その行為を日本では「うらなう」と言いました。「うらなう」とは、「神の心を問う」ことと考えれば、日本の人たちも中国の人たちと同じ発想をしていたということです。
では、中国では「うら」に当たる漢字は何でしょうか。「うらむ」は「恨む」・「怨む」。「うらやましい」は「羨ましい」と書きますが、「うら」と訓読みする漢字には、表裏の「裏」があります。
表/篆文2200年前 |
裏/金文3000年前 |
古代中国では、表と裏の漢字は、「上着(上にはおる衣)」から生まれた字です。その証拠に、この二つの漢字には「衣」という字が入っています。
しかも、衣は衣でも「裘(かわごろも)」=毛皮の衣なのです。ふさふさした毛のあるほうが「表」。毛のない内側を「裏」と言いました。「表」という漢字の上側( )は毛を表わします。「裏」の真ん中にある「里」は「り」という音を表わすために用いられています。
中国の「裏」は、日本の「うら」と一見出所が違うように見えますが、見えない部分を表わした「裏」に「うら」という日本語読み(訓)を当てたのはとても正しい選択でした。日本語の「うら」は、もとは外から見えない「心」だったのですから、外から見えない内側を表わす「裏」はぴったりということです。日本語の「うら」も漢字の「裏」も、ともに見えないところを表わす点では共通していると言えます。
浦/篆文2200年前 |
さて、「見えないところ」というと、もう一つ「うら」と読む漢字が浮かびます。「浦」です。「裏」が見えないところを表わすのと同じように「浦」も、外海から隠れた内海、入り江を表わします。「裏」の意味を地形に用いた例です。その「浦」も古くは「うら=心」です。
日本書紀に「イザナミノミコト」が「日本は浦安の国」と言ったと書かれています。今日の話で言えば、浦安の国は「心安の国」。心安らぐ国という意味です。日本の国の誉め言葉(美称)です。千葉県には「浦安」という地名があります。あの場所にディズニーランドを作ろうと考えた人は、「心安らぐ」場所という地名の由来を知っていたのでしょうか。とすればすごいです!
とはいえ、今の日本は「うらめしや、コロナ」などと言いたくなる有様です。一刻でも早く「心安らぐ」日本になることを願うばかりです。
*『白川静さんに学ぶ これが日本語』小山鉄郎 論創社の「うらとうらやむ」を参照しました。
放送日:2020年8月10日
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