赤・甲骨

暦の上では「立冬」を過ぎましたが、京都はこれから錦秋の時を迎えます。すでに紅葉の名所「高雄」は見ごろを迎え、東山の「永観堂」もライトアップを始めたとニュースで報じられていました。今年は例年より人出は少ないかもしれませんが、つかの間京都は、あでやかな色に染め上げられます。

赤・甲骨

赤/甲骨3300年前

赤・金文

赤/金文3000年前

赤・篆文

赤/篆文2200年前

紅葉の赤。赤色の「」という字は、古い文字を見ると「大」と「火」との組み合わせです。「大」は人が両手両足を広げ正面を向いている形。その下に「火」があります。まるで人が火あぶりにされているような構図ですが、火あぶりではなく「火」を使って汚れをはらっている姿です。

「火渡り」という儀式があります。護摩木等を焚いた後のまだ火照った炭や灰の上をはだしで駆け抜ける行事です。こんな危険そうな行事が残っているのも、火には汚れをはらう力があると信じられていたからです。火を使って悪いものを追い払おうとしている人の姿が「赤」という字になりました。ですから、「赤」という字には魔除けの力が込められているのです。

罪を犯した人が許されることを「赦免(しゃめん)」と言います。赦免の中に使われている「赤」に「攵」の字は、赤で汚れをはらったゆえに「(ゆる)される」のです。

明・甲骨

明/甲骨3300年前

明

明/金文3000年前

明・篆文

明/篆文2200年前

「赤」は日本語では「あか」と言います。主に色を表わす字として用いていますが、「あかるい」という字の「あか」と元は同じです。「赤」と書く「あか」は色の感覚を言い、「明」と書く「あかるい」の「あか」は光の感覚を表わす言い方で、出所は一緒(同根)でした。

漢字の成り立ちとしての「明」は「日」と「月」との組み合わせです。太陽と月はともにあかるく光るから「明るい」という字になったと習ったかもしれませんが、古代の文字を見ると「日」の部分は太陽を表わす字ではないのです。それは丸い形の中に突起のようなものがでているからです。これは何でしょうか。白川先生は、それは「お日様」ではなく「丸い形の窓」を表わしていると言われました。

はるか昔、中國の黄土地帯(黄河流域)の住居は、地面に大きな穴を掘り、その横壁に穴をくり抜いて住まう横穴式の住居でした。その住居に明かりを入れる丸い窓を開けたのです。夜、その窓に月の光が差し込みます。古代の人々はそこを「神さま」が訪れる場所だと考えていました。それゆえ、神様が訪れる場所=月が差し込む窓の形から「明」という字は生まれました。差し込む光はさぞかし神々しく、明るかったにちがいありません。

「明」は「あかるい」というだけでなく「あきらか」という時にも用います。明るい光が、真実を暴き出すようなイメージでしょうか。神が訪れる場所ですから、すべて「明らか」なのです。

以前、「秋」という字を紹介しました。「秋」という字にどうして火があるのか。穀物を食い荒らすバッタからの襲来を恐れ、バッタを火で焼く儀式を行ったのが「秋」という季節を表わす字のもとになったと紹介しました。その「秋」という字を日本では「あき」と呼びました。この「あき」という呼び方も「あか」と関係があります。草や木の葉が赤らむ季節ということから、「あき」というようになりました。そして、その実りの秋の収穫物を交換することを「あきなう」と言いました。日本で「商売」の「商」を「あきなう」というのは、これが起こりでした。

日本では「あか」・「あき」は「赤」の色合い、「あかるい」・「あきらか」は光の「明るさ」から始まった一連のことばでした。

さて、3日に投票があったアメリカ大統領選挙は、バイデン候補の当確が出ても決着がつきそうもありません。結果をめぐって法廷闘争まで起こっています。堂々とした戦いの結果ならいざ知らず、一方的に相手方を「不正、詐欺よばわり」する現職大統領の品のなさに唖然としたりします。

「真っ赤なウソ」という言い方が日本にはあります。「赤」に「明」と通じる「あきらか、完全な」などの意味を重ねて、ウソを強調する使い方です。「あきらかなウソ」「完全なウソ」という意味です。「赤の他人」、「赤ッ恥をかいた」、「赤裸々」等とも言います。赤色で伝えるとインパクトがあります。彼の国の大統領のシンボルカラーが「赤」というのも皮肉です。

さて、日本では「あきらか」の延長線上に「あきらめる」という言葉もあります。明らかになったうえは、じたばたしない、潔く「あきらめる」というのが日本の人々の美意識でした。どうか、彼の国の選挙も穏やかな終わりを迎えてほしいと願っています。

放送日:2020年11月9日