白川先生の斿・遊

昨日(10月30日)は、漢字世界の巨人白川静先生の命日でした。亡くなられたのが2006年10月30日でしたから、今年で17回忌を迎えました。

当時すでに96歳でしたので、今生きておられたら、112歳ということになります。先生は、生前120歳まで生きるつもりで、計画を立てておられました。万巻の書を読み、研究に没頭してきた先生でも、まだ山のようにやりたいことがあったのです。

遊・金文

遊/金文3000年前

白川先生の斿・遊

白川先生自筆の斿・遊

その先生が、漢字の中で最も好きだったのが「」という字でした。ある対談の中で、人生を振り返って、「孔子は『芸に遊ぶ』と言ったが、何の芸もない私は、どうも『学に遊んで』きたように思う。」とおっしゃっていました。一生涯「学問の世界の中で遊んできた」そんな感慨をもらされたことからも、「遊」という字には思い入れがあったようです。

その「遊」の字には、子どもの「子」が入っているので、子どもが自由にあそんでいるイメージが浮かぶかもしれませんが、なかなか奥の深い字なのです。

古い「遊」の字(金文)をみると、道を行くことを表す「 しんにゅう[辶](しんにゅう)」と「 ゆう[斿](ゆう)」との組み合わせです。ゆう(斿)」は「吹き流しをつけた旗ざおと子ども」からできている字です。(前回出てきた「旗」という字も「吹き流しをつけた旗ざお(旗(えん) )に『其』(四角い旗)をつけた形からできた字です。)

「吹き流しをつけた旗ざお」は一族の旗を掲げるための竿(さお)です。古代中国の人々は、一族の吹き流しと旗には祖先の力が宿ると考えていました。ですから、自分の領地から異国の地へ出かける時は、一族の旗を先頭に進みます。旗に宿る祖先の力を得られれば、安全に異国の地に出かけることができると考えていたからです。そのような一族の旗の下だからこそ、子どもたちは安心して自由にあそぶことができたのです。

自分たちの祖先の神さまに守られ、安心して自由に動き回ることができる、それが「遊」という字の始まりでした。

旅・甲骨

旅/甲骨3300年前

旅(金文)

旅/金文3000年前

*車に乗って行く「旅」の字もあります。

この「遊」のように、一族の旗印を押し立てていく進軍する字には、他に「」という字があります。古代中国では、旅は物見遊山の旅行ではなく、異国へ攻め入ることでした。まさに戦争に向かう人々こそ、一族の旗印に守られて進軍していったのです。「旅」は「 吹き流しの旗(吹き流しをつけた旗)」と「 旗(人々)(人々)」との組み合わせでできています。

族・甲骨

族/甲骨3300年前

その戦に向かう「旅」に集う人々こそが、「族(一族の仲間)」でした。族という字は「 族・パーツ吹き流しをつけた旗(吹き流しをつけた旗)」と「 矢・甲骨(矢)」との組み合わせです。「矢」は、戦に出かける一族の仲間が矢を前に誓いを立てた印です。古く「矢」は、「ちかう」と読みました。

「遊」・「旅」・「族」は、ともに、祖先の力に守られて異国の地へ赴く人々の姿を表した字です。今では、その意味を変えましたが、これらの漢字には、安全や無事、結束をはかる人々の思いが込められています。漢字が、単に意味を伝えるだけでなく、漢字を作った人々の思いや願いがともに込められていることを、よく伝えてくれる一連の字です。

私たちにそんな漢字の奥深さを教えてくれた白川先生に感謝をする今年の17回忌になりました。ひょっとすると白川先生も、一族の旗のもとに集まる祖先の一人となって、天上から私たちを見守ってくださっているかもしれません。

*白川先生には「遊」の字の成り立ちを論じた「遊字論」という論文があります。その書き出しは、名文として名高いですが、次のように始まります。

遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。・・・

『文字逍遥』(平凡社ライブラリー)より

 

遊・記念碑

福井市の白川静生誕の地に建つ「遊」の記念碑

ここでいう神に最も近い存在こそ、「子ども」なのかもしれませんが。

放送日:2022年10月31日