帯屋外観

西陣の静かな街中にひときわ目につく町屋があった。百年は超えるであろうその町屋の風情をさらに高めているのは、(ひさし)の上のこれまたしぶい街燈である。時間の中をくぐりぬけてきたものだけが持つ風格さえ漂わせている。その街燈に篆書体(てんしょたい)で「帯屋」と書かれていた。右側には帯という字を意匠化したロゴマークも見える。西陣の帯屋さんに違いないが、暖簾に「捨柗(すてまつ)」とこれまた篆書体で白抜きされている。これが屋号ならそうそうない名前である。

帯屋街燈帯屋暖簾

漢字の生まれた時代に人々はどのような服装をしていたのか、定かではない。定かではないが、「帯」という字がその一端を語る。帯は儀礼用の(きん)(まえかけの形をした布)を身に着けた形を表す。前掛けのような布を服からたらし、ベルトのような「おび」で留めたのである。男性は革製の帯を、女性は腰ひもの帯を身につけたと古い字書には書かれている。すでに普段の生活でも腰のあたりに帯をまいて服を締めて着ていたのではないかと思われる。

「屋」という字は古代文字を見るとよくわかるのだが、至に当たる部分が地面(-)に矢がささっている形をしている。古く大切な建物を建てるときは、その場所選びのために矢を放って神聖な場所を選んだのである。高貴な人が死ぬとしばらくその死体を納める仮の安置所を作る。大切な建物なのでこの儀式を経て建てられた。それが「屋」である(だから尸(しかばね)がある)。生活や公務に使う大切な建物は「室」という。ともに矢が至る形が残っている。のち「屋」は建物一般、「いえ、やしき、すまい」の意味となる。

「捨柗」はこの店の屋号だった。三代目のご主人の名前が「捨松」であったそうだが、「生まれた子供を松の下に捨てて、その子を拾って育てると丈夫に育つという」古い言い伝えにあやかって、お店もそのいわれのように丈夫に発展していきますようにとの願いからあえて名づけられたそうだ。すごい発想である。こうした柔軟な発想が、京都の長い伝統を守りぬく底力となっているに違いない。そのように聞けば名前にさえ風格を感じるのである。

「捨柗」の「柗」という字は使われることの少ない字だが、松の異体字である。(つくり)の八と口(さい、神さまへの願い事入れた器)は気配を漂わせて神様が降りてくることを示す。柗(松)は、昔から神が降りるめでたい木として大切にされてきた。

古代文字

帯(帯)篆文  屋(屋)篆文

捨(捨)篆文  松(松)金文

室(室)甲骨