「日月星辰」とは、日、月、星などの天体の交わるところ、天空、空のことを言います。
宇/金文3000年前 |
宙/甲骨3300年前 |
古代中国の人々も、すでに3000年以上前から空に浮かぶ太陽、月、星々を観測していました。とりわけ、暦を作るために、日の長さや月の満ち欠けなどの観測は欠かせませんでした。時々天に異変があると不吉な予兆と畏れたりもしました。
そんな古代の人々は、宇宙(天空)をどのようにとらえていたのでしょうか。
2000年前の書物(淮南子)には、宇宙のことを「はるか昔から『宙』といい、四方上下を『宇』という」と書かれています。「宙」は「からっぽ」の意味。四方上下は「あらゆる空間」を表します。それを「宇」というわけですから、まさに「からっぽの大きな空間」を宇宙ととらえていたわけです。ただ、古代中国の人々にとっては、目で見える範囲の宇宙ですから、「広大な空間」がどのようになっているのか、十分な認識があったわけではありません。
では、どのようにとらえていたのか、「空」という字から考えてみます。
空/篆文2200年前 |
「空」は「 (あなかんむり)」と工具の「工」との組み合わせです。「 」は文字通り穴を表します。
「工」は、ゆるやかに湾曲する形の道具を示し、穴の天井部分がそのように曲がっているものを「空」と言いました。たしかに、空は見上げればそのように見えます。
はるか昔の古代の人々は天空を眺めて、自分たちが大きな球形のドーム状の穴の中に住んでいるととらえていました。古代の人々にとっては、宇宙は穴のような丸いドーム型の天井をしており、その下にからっぽの広い空間があり、さらにその下に人間が住む大地があり、その大地は四角い碁盤のような形をしていると考えていました。(蓋天説・・・「天円地方」天は円く大地は四角という考え方)
月/金文3000年前 |
夕/金文3000年前 |
さて、夜になると、その宇宙(天空)に月と星が現われます。月は太陽と違って満ち欠けするので、三日月の形が漢字のもとになりました。その月の古代文字には、三日月の中に縦棒があるものとないものの二つがあります。初めは縦棒のない三日月だったようですが、後に、三日月の中が空っぽではなく中身があることを示す縦棒の印をつけた形となりました。今、私たちが使っている「月」という字はその縦棒が入った形からできた字です。
では、からっぽの三日月の方は、なくなったかというと、そうではなく、夕方の「夕」の字になりました。月も夕ももとは一緒の「月」の象形から生まれた字でした。(ですから、古い文字には縦棒のない月の字があったり、縦棒の入った夕の字があったりします。)
星・/金文3000年前 |
晶/甲骨3300年前 |
では、星はどうでしょうか。「星」は「日」と「生」との組み合わせでできた字です。この字に「生」の字が入っているのは、この字を「セイ」と読めという読みを指示する役割です。
でも、星の字に「日」が入っているのは不思議ではないですか?ふつう「日」は太陽を表しますが、ここでの「日」は太陽ではなく、別のものを示しています。古代文字を見ると、分かれた枝の先に「日」の形をしたものが3つあります。これはお日様ではなく光り輝く星です。空に無数に光る星々をこの形で表しています。同じものを三つ書いて無数にあることを示します。今の字は光を表す「日」が一つですが、古くは「 」と3つ書かれていました。そこから、キラキラ輝くものを表す、水晶の「晶」という字もできました。「あきら」と読むこの字も星の輝くさまからできた字です。
朝/甲骨3300年前 |
最後に、お日様と月が同時に入っている字を紹介しておきます。
それは、「朝」という字です。「朝」は、西の空に白い月が残る中、東の草の間からお日様が昇ってくる形です。月とお日様がバトンタッチして一日が始まるのです。それが、「朝」と考えたのでしょうか。今でも早起きをすれば、こうした朝の光景は見られます。
日本の『万葉集』のなかにある柿本人麻呂の歌に同様の主旨の歌があります。
東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ 柿本人麻呂
※「明」も「日」と「月」からできている字だと思っておられるかもしれませんが、白川先生は、「月」は空に浮かぶ月だが、「日」はお日様ではなく、「窓」を表す字だととらえています。古い文字(甲骨)にはお日様の中に突起のような物が描かれており、明らかにお日様とは違うと考えています。(参考:ラジオ第147回「赤と明」)
明/甲骨3300年前 |
明/金文3000年前 |
放送日:2023年11月27日
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