琵琶湖疏水・乗下船場

京阪石山本線「三井寺駅」で下車し、北に向かうと、すぐ琵琶湖の取水口から流れてくる人工の川=疎水に出る。その疎水沿いを西に向かうと「北国橋」があり、そこが琵琶湖疎水の「船の旅」の乗下船場になっている。京都蹴上までの延長約20㎞の琵琶湖第1疎水の起点である。

明治18年(1885)8月。琵琶湖の水を京都まで通すという途方もないプロジェクトが始まった。山肌を縫うように水路が作られたが、途中、3つのトンネルが掘られた。なかでも、乗船場に一番近い第1トンネルの長さは2.4㎞に及び、当時として類例のない長さであった。50メートル近い竪穴坑を掘り、湧き出る水と闘い、人力だけでこの難工事をなし遂げた。

偉業といっていいこのプロジェクトを讃えるように、第1トンネルの入り口には伊藤博文、出口には山形有朋の扁額が飾られている。同様に、第2トンネルには井上馨、西郷従道の扁額が、第3トンネルには松方正義と三条実美の扁額がある。井上の扁額(隷書体)を除けば、すべて古代文字(篆書体)で揮毫したものである。現物は、風雪にさらされてはいるが、どの扁額も見事な出来栄えである。5年の歳月をかけて完成した琵琶湖疎水プロジェクトが、明治の元勲、元老と呼ばれた超大物たちの扁額にいろどられている様は、この工事がまさに国家的事業であったことの証でもある。

現在、疎水沿いにはウォーキングコースがあり、コース沿いに扁額を見ることが可能であるが、数年前に疎水を巡る船の旅も取り組まれるようになり、季節限定ではあるが、予約さえすれば船越しにも見られるようになった。

気象萬千

まず、第1トンネルの入り口を飾っているのが、初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文の「千萬象気」(気象萬千(きしょうばんせん))である。「気」の旧字体は「氣」。「氣」の「气」は雲の流れる形。すべての生命の源とされた。その气を養うもとである「米(穀類)」を添えて「氣」とした。「象」は動物の「ゾウ」の形から生まれた字。「ゾウ」の他に「像」のように「かたち、ありさま」の意味にも用いられる。「気象」は「氣」が形(象)をとること、この場合は自然の景象(情景)。「萬」は「サソリ」の形から生まれ、「よろず、あまた、万」を表す字となる。「千」は人の足の部分に短い線を加えて数字の「せん、ち」の意味に用いる。「萬千」は「千変万化」することをいう。

「気象萬千」は、「自然の情景は千変万化する」意訳:千変万化するこの場所からの風景はすばらしいの意味を持つ。出典は中国北宋時代の政治家范仲淹(はんちゅうえん)の「岳陽楼記」(洞庭湖を望む岳陽楼の改修に寄せた文章中)の一節。琵琶湖を望む長等山の山中に掲げる扁額の言葉として、岳陽楼から眺める洞庭湖の千変万化の美しさを謳ったこの一節こそふさわしい。伊藤博文にあっぱれである。

氣・篆文

氣/篆文

象・篆文

象/篆文

萬・篆文

萬/篆文

千・篆文

千/篆文

气・金文

气/金文

象・甲骨

象/甲骨

萬・甲骨

萬/甲骨

千・甲骨

千/甲骨