皐蘆庵玄関

冬の特別公開中の大徳寺の本坊を見学した二月の半ば、京都は昼から雨の降る日となった。早々に帰ろうと高桐院沿いの細道を南へ下ると急に民家が現れ、不思議な空間に迷い込んだ。ここは大徳寺の境内なのか外なのか、その境目がはっきりしない。北大路通りに通じる道に違いないが、観光客が通り抜ける道ではない。

その不思議な道の途中で見つけたのが、この茶舗(ちゃほ)暖簾(のれん)である。麻の生地に、鮮やかに黒く「皐盧庵茶舗」と書かれてある。字体は「篆書(てんしょ)」風にデザイン化したものだが、この静かな空間によく似合っている。しかも、暖簾の左下に「こうろあん」と小さく書いて「読み方を」教えてくれているのも心にくい。

店に置いてあったパンフレットによると、「皐盧(こうろ)」という言葉は、鎌倉時代に書かれた栄西の『喫茶養生記』に登場する言葉だそうだ。確かに『養生記』をみると、中国広州産(現在の中国南部広東省には「広州市」がある)の「茶の美なるを名づけて皐蘆と云ふなり」とある。皐盧は「良いお茶、美味なるお茶」を表す言葉であった。

皐盧(こうろ)」の「皐」はなじみのない字だが、「皐月(さつき)」という言い方なら聞き覚えがある。しかし「こう」の読みで使う言葉は思い浮かばない。白川説によると、皐のもとの字は「皋」である。(こう)(皋)は「風雨にさらされている獣の死骸」の形で、「白い、色が抜ける」の意をもつが、「(こう)」と通じて「たかい」の意味もあるという。

()」はいろいろな意味を持つ字であるが、お茶との関わりで言えば「黒、黒い」の意味が一番近い。「盧弓(ろきゅう)盧犬(ろけん)」というと「黒塗りの弓、黒い犬」をいう。茶葉の色合いを盧で表したものか。「皐盧」とつないであえて成り立ちから意味を考えると「白と黒」。おそらくお茶とはかかわりのない不思議な色合いとなる。あえてこじつければ、「高い」と「黒」で「高くて黒いお茶」=「上等な黒い葉のお茶」ということになるのかもしれない。白川先生の『字通』には、皐盧(皐蘆)は「南蛮茶」とある。南蛮茶と言えば、「珈琲」を指すという説もあるが、おそらく後の時代の解釈であろう。やはり、鎌倉時代に書かれた『喫茶養生記』の広州産の「よいお茶」を表す「皐盧」の説明が本来の意味を表わしていると思われる。

皐蘆庵工場

雨は激しくなってきたが、「皐盧庵茶舗」の玄関を開けて中をのぞいてみると、小さなお茶の売り場の横に、「茶工場」のような機械がおかれ、壁にはお茶の仕分けに使う(ふるい)()が架けられている。聞くとここでお茶の最後の仕上げを行っているとのこと、何ともこだわりの強い店である。さらに話を聞くとそのこだわりはただものではなかった。ここで飲むことのできるお茶は、すべて京都の南、宇治田原にある自家茶園で栽培されたお茶とのことである。京町屋の玄関の奥には和室と坪庭が見える。その部屋でゆったりとお茶を飲むことができるらしい。主人の「心を込めて作ったお茶を味わってもらいたい」という思いが店全体から伝わってくる。

千利休ゆかりの大徳寺の境内に近い不思議な一角で、上等な茶の店を見つけた。ときに迷路のような小路に入ると思いがけぬ店に出合うことができるのも、京都の街歩きの楽しみといえる。

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