一年で一番寒い「大寒」の時期にもかかわらず、今年は京都も温かい冬になっています。気候温暖化の影響がジワリジワリと忍び寄ってきているようです。この時期庭先で赤い実をつける南天の木もどこか色鮮やかでないような気がします。

冬に目立つ木の実と言えば、「南天」の木があります。京都は「南天」の木が多い街かもしれません。つつましやかな木ではありますが、(いた)る所に「南天」は植えられています。たいてい、家の北東の角か南西の隅に「魔除け」として植えられています。京都の北東側、比叡山のある方角が鬼門。その反対、南西側が裏鬼門に当たります。

鬼(魔)がやってくると恐れられた方角に南天を植えて(なん)(てん)ずる」=「災難を追い払う」という語呂合わせでゲン担ぎをしました。庶民の間の迷信とも言えますが、京都御所の立派な塀も北東の端は切って角をなくしてあります。上も下も信じた時代があったのです。

赤い実をつける「南天」の木は、古い時代に中国から日本にやって来たと言われています。中国での名前は「南天燭」。「燭」は燭台の「燭」で、燭台の上で火が灯っているように見立てたからでしょう。もちろん、燭台の火というだけでなく、「南天」と名付けたのですから、明るい陽射しを届けながら南の空を動く太陽のイメージに、小さな赤い実をいっぱいつけた「南天の実」を重ね合わせたに違いありません。

南・甲骨

南/甲骨3300年前

さて、その「南天」の「」。方角を表すこの字の成り立ちは現代の字だけを見ていてはなかなかイメージできませんが、白川先生は、古代文字(甲骨)から「木に吊るされた太鼓のような楽器」の形からできた字だとおっしゃっています。その楽器を奏でる人たちが「南人」(南方に住む人たち)だったので、方角を表す「南」の字にあてられたのだと解釈されています。古代文字を見ると確かに太鼓のようなものの上に吊り下げるための木枠が見えます。

古代の人々にとって方角の知識は、旅をするうえでとても大切なものでした。はるか昔から太陽の動きや星の動きで方角を知ることが行われました。その方角に漢字を当てようとしても方角は抽象的なものですから、当てはめる形が見つかりませんでした。そこで方角の字は、同じ音を持つ別の漢字を用いて作られることとなりました。

南・甲骨

南/甲骨3300年前

北

北/金文3000年前

東・金文

東/金文3000年前

西・甲骨

西/甲骨3300年前

南の方角を表す字は「南方の人たちが用いる太鼓」を表す「南」を用いました。

「北」は「二人の人が背中合わせに立っている形」から生まれた「背中」を表す字を当てました。

「東」は「ひもで口を閉じた穀物を入れる袋の形」から生まれた「袋(囊)」を表す字を当てました。

「西」は「鳥の巣の形」から生まれた「巣」を表す字を当てました。

東西南北の方角を表す漢字は、みな別の漢字の音を借りた当て字で出来ています。古代の文字を見るともとのいわれがわかる形をしています。

その一例。中国古代の王様は太陽の陽ざしが注ぐ方角=南に顔を向けるように常に着座したと言われています。ですから、顔は常に南を向いています。すると、背中側はいつも北側にあります。背中を表す字が「北」の方角に使われるようになったのはこのためです。北が方角を表す字としてもっぱら使われるようになったため、「せなか」を表す字を新たに作りました。それが、「北」に「にくづき(月)」をつけた現在の「背」という字です。

日本でも天皇は必ず南を正面にして着座しました。京都御所でもそうですが、天皇が南の側を向いて座られると、左手側は東。右手側が西になります。京都では銀閣寺のある東山の方を左京区、嵐山のある西山の方を右京区というのは天皇が座る方向を基準に名付けられたからです。お日様の出る東(左)側にはお内裏様。お雛様は西(右)側に座られます。ですから、京都の古いひな人形は内裏様が左側、お雛様は右側に座られています。

今回は南天の話から東西南北の方角の話になりました。今世界は東西南北どちらを向いても難しい問題ばかりを抱えています。地球規模では温暖化。今年の異常気象が一過性でなければ、事は深刻です。今、中国では新型コロナウィルスによる感染症が猛威を振るい始めています。影響が世界的に拡がれば深刻です。昔の日本の人々が南天を庭に植えて「難を転ずる」ことを願ったようにただ願うだけでは事は進みませんが、世界の「災難」を「転ずる」知恵を、今こそ私たちは持たなければなりません。赤い南天の実のつつましい美しさをこの季節にいつまでも楽しめるように。

放送日:2020年1月27日