口・篆文(口/篆文2200年前)

白川文字学の中で最も重要な漢字は、間違いなく「」です。白川先生は、古代文字の世界に分け入って、次々に漢字のルーツを解き明かされました。その中で最大の発見と言われているのが、今「くち」の意味で用いている「口」という字が、漢字が生まれたころ(3300年ほど前)には、目鼻口の「口」ではなく、神さまへの願い事を入れた器=口(さい)の意味で使われていたことを突き止められたことでした。

ですから、これまで何度となく「口」が、願い事を入れた器=口(さい)の意味で使われていることを話してきました。しかし、その「口(さい)」の意味も、時間が経つにつれて使われなくなり、次第に目鼻口の「口=くち」の意味へと変わっていきました。すでに2200年ほど前には、願い事を入れた器=口(さい)の意味は忘れられてしまいました。白川先生が20世紀になって気づくまで、誰も気づかなかったのです。

こんな数奇な歴史を持つ「口」ですが、今回はこれまであまり取り上げる機会のなかった目鼻口の「口=くち」の意味を持つ漢字を、いくつか取り上げてみたいと思います。

舌・甲骨

舌/甲骨3300年前

最初に紹介するのは、「」という字です。「千」と「口」との組み合わせのこの字の「口」は「くち」です。舌は口の中にあるものですから、器とは関係ありません。ただ、口の上についている「千」は何でしょうか。これが口から出ている「べろ」を表します。ですが、古い文字は、先が枝分かれしています。どうも人間のベロではなさそうです。白川先生は、「蛇」のベロではないかとおっしゃっています。蛇は神様の使いとして大切に扱われましたから、蛇の舌こそ、神聖な舌として漢字に採用されたのかもしれません。

含・篆文

含/篆文2200年前

次は、「今」と「口」とを組み合わせた「含む」というときの「(がん)」です。「今」は「(ふた)」、「口」は「くち」を表します。あるものを「口」に入れて蓋をした=閉じた形です。では、口の中に入れて蓋をした「あるもの」とはなんでしょうか。

三択でお答えください。①飴  ②酒  ③玉 のどれでしょうか。

正解は③の「玉」です。人が亡くなった時、その人の生気(魂)が体から抜け出していかないように、口に蓋をしました。これが宝玉の「玉」でした。しかも、「蝉の形に加工した玉」だと白川先生は指摘されています。蝉は復活のシンボルとして古代の人々に信じられていましたから、そのセミに復活の願いを込めて口に「含ませた」というわけです。

咲・篆文

咲・旧・咲/篆文2200年前・・・「笑」という字と古代文字は一緒です。

次は、「咲く」というときの「(しょう)」という字です。「花が咲く」といいますが、どうして、花が咲くのに「(くち)」がついているのでしょうか。この字は、もともと「 咲・旧(咲)」という字です。その「咲・旧 」の右側((つくり))の「 咲・パーツ(しょう)」は、巫女(みこ)が両手を挙げ、口を開けて笑い興じている姿からできた字で、「笑」と同じ構造の字でした。

ということで、「咲・旧」は、古くは「わらう」と訓読みされていました。神様を楽しませるときは、笑顔が一番だったのです。「咲」に口があるのは本当に笑っているときの字だったからです。その笑顔いっぱいの「(わら)う」姿が、いつの間にか花が咲いているときのイメージと重なって、日本では、「咲」を「さく」と訓読みするようになったのです。

噴・篆文

噴/篆文2200年前

憤・篆文

憤/篆文2200年前

さて、最後に、前回「花」いろいろという題でお話をした時に紹介できなかった、「噴火」の「」です。左側は「(くち)」です。右側((つくり))は「ふん・噴(ふん)」。「ふん・噴」は、もともと花が一斉に開き始める形を表わす「ひ(花・咲)(ひ)」という字でした。

ですから、噴の右側(旁)は、「花が一斉に咲き始める形」を表しています。花が咲き始めるというのは、花の中にある隠れた力が激しい勢いで外に現われ出てくることを意味します。それと同じように、口から外に激しくふき出すことを「噴」と言いました。食べかけのご飯を思わず吹き出してしまうように、ばかばかしくて急に笑い出すことを「噴飯(ふんぱん)」と言います。同じように、火山の内部から勢いよく吹き出すことを噴火と言いました。ご飯を口から噴き出すイメージと火口からマグマが噴き出すイメージとでは、スケールがあまりにも違いますが、これも「(くち)」からでたものとして共通しています。

実は、心の中のもやもやが外に噴き出すと「憤る」という字になります。花が一斉に咲き始める姿からこんな漢字が生まれてくるのですから、古代の人々の想像力はすごいですね。

まさに今、季節は、花が一斉に咲きはじめる「噴花」の季節となりました。

放送日:2021年3月23日