面・甲骨(面/甲骨3300年前)

今回取り上げる字は「面」。普段「面」という字に「目」があることは意識しないかもしれません。実にうまくまぎれ込んでいますから。でも、「お面・仮面」は顔にかぶるものですから必ず目の部分は開いています。開いた目こそ「お面・仮面」を象徴するところです。三千年以上前の古代中国の人々も顔の形の真ん中に大きな「目」を入れて「面」という字を作りました。

日本では古く「面(顔)」のことを「おも」といいました。現在でも「面長(おもなが)」と言ったり、能の世界では被る面のことを「おもて」といいます。

その「おも」がもとになった言葉に「おもう」があります。心で「おもう」ことは(おも)(顔)に表れると日本の人たちは考えました。うれしかったり、腹が立ったり、悲しかったり、楽しかったりという「喜怒哀楽」の感情は、面(顔)の表情に表れます。昔の日本の人たちは顔に表れる素朴な感情を「おもう(面う)」と呼んでいました。

ところが、千数百年前、中国から漢字が入ってきて「おもう」ということにもいろいろな表現の仕方があることを学ぶのです。

例えば、

  1. 「しまった、どうしよう」といって頭をかきむしりたくなるように思い悩む思い方があります。
  2. 「物事を心の奥深いところでしっかり考える」ように思う思い方があります。
  3. 「まだ起こっていないことを思い描く=想像する」思い方があります。
  4. 「いなくなった人、亡くなった人の面影をしのぶ」懐かしむように思う思い方があります。

思うにもいろいろなバリエーションがあり、それを表すいろんな漢字があることに出合うのです。

思・篆文

思/篆文2200年前

1.頭をかきむしるような思い方は、「田」に「心」と書く「思う」でした。「田」の形は「田んぼ」の「田」ではなく、古い字を見るとわかるのですが、人の「脳みそ」の形でした。まさに頭をかきむしりたくなるように思いわずらうことを表す字です。

念・篆文

念/篆文2200年前

2.心の奥深くでおもう思い方は、念ずるという時の「」。心の上の「今」は古い文字では「(びん)(せん)」の形です。心に栓をして思いつめる、深く考えること表します。

想・篆文

想/篆文2200年前

3.見えない人や起こっていないことに思いをはせる思い方は「想像」の「」です。前回扱いました。(第50回ラジオ)

懐・金文

懐/金文3000年前

懐・篆文

懐/篆文2200年前

4.面影を(しの)ぶような思い方は「懐かしい」という字です。古い文字を見ると、亡くなった人の衣(襟元(えりもと))に涙を流し、生きていたころを偲ぶので「衣」という字の間に涙を流す「目」が入っています。今の字では衣の上に横になった目があります。

古代の日本人は顔に表れる喜怒哀楽の素朴な感情のことを「おもう」と呼んでいましたが、漢字に出合っていろいろな「おもう」があることを知り、それぞれの「おもう」に漢字を当てはめ、使い分けをしました。例にあげた「思」「念」「想」「懐」は、一昔前までみんな「おもう」という訓の読みを持っていました。

 

千数百年前、日本の人たちは漢字という書き言葉に出合うことで表現する力を何倍も増やすことになりました。日本人は漢字に出合ったおかげで表現する力、思考する力を数段高めることが出来たのです。漢字に出合ったことは日本人にとってそのくらいすごいことでした。白川静先生は、日本語と漢字との出合いを「素朴な田舎の言葉でしかなかった日本語が漢字という表現手段を持つことで文明の言葉に変身する機会を持つことになった」と言われています。

今、私たちは日本語として当たり前に漢字を使っていますが、千数百年前、漢字に出合ったことで物事を表現する力を飛躍的に高める機会を得たことを本当はもっと感謝して漢字を学ばなければならないのかもしれません。

つい少し前まで「おもう」と訓読みする字は「思」「念」「想」「懐」など10以上ありました。現在、学校で習う「おもう」と訓読みする漢字は「思う」の一つだけになってしまいました。どんなバリエーションの「おもう」も「思う」一字で表現するしかないのです。現代の私たちははるか昔にご先祖様が手に入れた豊かな言葉の表現のバリエーションを徐々に失いつつあるといえるかもしれません。皮肉なことに、顔に表れた感情を「おもう」という言葉で表すしか手段を持たなかった昔の時代にまるで逆戻りしたような気にさえなります。

今回は「面」という漢字からおもわぬ日本語と漢字との出合いの話になりました。

放送日:2016年6月27日

今回のおまけ

「おもう」と訓読みする主な漢字/白川静『同訓異字』(平凡社から)

(おも)う (おも)う (おも)う (おも)
(おも)う (おも)う (おも)う (おも)
(おも)う (おも)う (おも)う (おも)