法金剛院雲版

右京区花園にある平安時代末期に待賢門院璋子(しょうし)が建立した「法金剛院(ほうこんごういん)」。前回は礼堂の廊下に掲げてある「雲板」の古代文字「法金剛院」の「法」の字について紹介しました。今回は残りの漢字「金」「剛」「院」の成り立ちについて紹介します。

「法金剛院」の「金」は鋳込んだ金属の形。「金」は、今は黄金の「金」、または金属(金・銀・銅・鉄などの鉱物)一般のことを表す字だが、古くは「銅」のことであり、銅の塊を鋳込んだ形が「金」であった。古代の文字には「銅の塊」が二つの「金の点々」で表されているが、「金」の字にも下の金の点々(現在)のところに「塊」の名残がある。古く、青銅を表す「金」は青銅器を作る原料とされ、赤金と呼ばれていた。出来上がったばかりの青銅器は「金色」に輝く黄金の器だったといわれている。のち、「銅」の字ができ、「金」は「黄金」の「金」のことをいうようになる。

「法金剛院」の「剛」は「岡」と「刂」との組み合わせ。「岡」は「(もう)」と「火」との組み合わせで、「网」は鋳物を作るときの土でできた鋳型のことで、それに「火」を加えて焼き固めることを「岡」という。「岡」の中の「山」という字は、古代文字では「火」の形であった。古代文字の「山」と「火」が似ていたため、入れ替わって使われてしまった例である。

鋳型に入れられた青銅器などが下から火で熱せられ、焼き固められている様子が「岡」であり、その焼き固められた鋳型に刀(刂)を入れて中身を取り出すのが、「剛」である。焼き固めた鋳型に刀を入れたときの固さ・強さを表す文字である。だから、「金へん」の「鋼」にも「糸へん」の「綱」にも強くて固いイメージが貫かれている。「金剛」も「非常に硬くて壊れないこと」を表す字であり、金剛石といえば「ダイヤモンド」をさす。仏教での「金剛」は梵語の漢語訳で「堅固」の意味。金剛力士、金剛心、金剛身など強いイメージで用いられる。

「法金剛院」の「院」は、もとは「(かきね)」の意味で用いられた。「かき、垣のある建物」を「院」といった。また、その建物に付属する「園、庭」をいう。のち、学者の住居を「書院」、僧侶の住む建物を「僧院」などという。もちろん、ここでは「寺院」の意味である。

ところで、時代を感じさせる法金剛院の「雲板」はいつごろ制作されたものか。雲板の裏側には制作した年代、作者名などが刻まれている。

法金剛院雲版作製年

見ると「慶安元戊子蠟月上旬」と彫られてあった。「慶安元(年)」は西暦1648年。今から370年ほど前。三代将軍徳川家光の時代である。「蠟月上旬」は陰暦12月上旬。370年前の陰暦12月上旬に作られた雲板である。とすれば、370年もの時の流れの中をこの雲板は現役で打ち鳴らされてきたことになる。どんな音色が響くのだろうか。作者は「周防(山口県)」の国の「乗九」と記されている。

法金剛院は京都の西北、花園の地にある。一年中花を愛でることのできる寺であるが、仏殿に残された弥陀如来坐像、金目地蔵などは華やかなりし平安時代の隆盛を思い起こさせる迫力がある。庭の北端には待賢門院璋子が作ったとされる日本最古の人工の瀧「青女の瀧」が今もその名残をとどめている。

法金剛院蓮

古代文字
法・金文

(法/金文)

金・金文

(金/金文)

鋼・金文

(剛/金文)

院・篆文

(院/篆文)

山・甲骨

(山/甲骨)

火・甲骨

(火/甲骨)