16法金剛院蓮4

JR嵯峨野線花園駅で下車し、西へ三分ほど歩くと丸太町通りをはさんで北側に小さなお寺「法金剛院(ほうこんごういん)」がある。現在は双ヶ丘(ならびがおか)の山麓にひっそりと建っているが、かつてこの辺りは平安貴族たちの山荘が建ち並ぶ華やかな場所でもあった。

平安時代末期には、鳥羽天皇の中宮待賢門院璋子(しょうし)が養父白河法皇追善のためにこの地にお寺を建立した。それが、「法金剛院」の始まりである。寺内には縦横百メートルを越す大きな池を持つ池泉(ちせん)回遊式浄土庭園が作られ、周りには三重塔や御堂が配され、山裾には待賢門院の御所など壮大な規模を誇っていた。広い池には極楽に咲くといわれる蓮の花が植えられ、「西方浄土」のごとく季節ごとに美しい花々が咲き誇る優雅な「花の寺」であったという。時の天皇や歌人西行などが足を運んだ場所でもある。この辺りを「花園」と呼ぶのは、様々な花々が咲き誇る「法金剛院」をはじめとして貴族の山荘が営まれ、まるで「花園」の如き場所であったことから名づけられた地名とも言われている。

時は流れ、寺域は狭くなったが、「花の寺」の異名は今も残っている。かつての大きな池の北の端だったところが池として残り、その池には今も一面に蓮が植えられ、夏には見事な花を咲かせる『蓮』の名所となっている。

そんな由来のある「法金剛院」の「礼堂(らいどう)」の裏手の廊下にこの雲板は掲げてあった。

法金剛院雲板

「雲板」は青銅で作られ、形は雲形をしている。雲は雨を呼び人々に五穀豊穣をもたらすとされている。その「雲形」に五穀豊穣の願いをこめ建物などに掛けられたのが始まりであろうが、今は法要の開式などを告げる鐘の役割を担っている。法金剛院の雲板も現役で使われているらしく、柱には擦れた「木槌」が掛かっていた。

その雲板に篆書(てんしょ)体で彫られていたのが寺名の「法金剛院」の文字である。

法金剛院篆書

「法」という字のルーツは古く、古代の裁判と関わっている。現在の「法」は「氵」に「去」と書く字であるが、古くは「法・古い文字」と書く難しい字であった。この難しい字の中から「(たい)」のパーツが抜け落ちた字が、現在の「法」である。抜け落ちた「廌」の部分の古代文字を見ると「廌・金文」。二本の角を持つ動物の形をしている。「鹿」という字にも似た部分があるように、二本の立派な角を持つかい廌(かいたい)=神羊と呼ばれている動物だといわれている。

この神羊こそが、古代の裁判では重要な役割を果たす。裁判は神羊を使って神様に判断してもらう「羊神判」と呼ばれる裁判であった。原告・被告がそれぞれ神羊を用意し、裁判の途中で異常な行動を示す神羊の側が「うそ」をついている、あるいは「悪いこと」をしていると判断するのである。神の意向が神羊に乗り移って判断を下す。判断が下され負けが確定すると、負けた側の人と神羊は川に流される。残酷なようだが、水に流すことで罪を償うのである。これが古代の裁判であった。まさに裁判で負けた側が願い事を入れた 口・篆文(さい)のふたを開けられ、「羊」とともに川に流されるので「法」という字は「氵」と「去」から成り立っている。現在の「法」の字は主役の動物が抜け落ちた字であるが、三千年も前の古代中国の裁判にルーツを持つ字である。

《次回に続く》

古代文字
法・金文

(法/金文)

金・金文

(金/金文)

鋼・金文

(剛/金文)

院・篆文

(院/篆文)