帯屋外観

西陣の静かな街中にひときわ目につく町屋がありました。百年は超えるであろうその町屋の風情をさらに高めているのは、(ひさし)の上のこれまたしぶい街燈でした。時間の中をくぐりぬけてきたものだけが持つ風格さえ漂わせています。

帯屋街燈

その街燈に篆書(てんしょ)体で「帯屋」と書かれていました。右側には帯という字を意匠化したロゴマークも見えます。その家に掛かっている暖簾(のれん)には「捨柗(すてまつ)」と白抜きされた文字も見えます。もし、これがこの店の「屋号」ならとても珍しい名前です。

帯

帯/篆文2200年前

さて、街燈に書かれている「」は、「巾(前掛けの形をした布)をたらした形」から生まれた字です。「帯」の上側はベルトの「留め金(バックル)」のような形です。下側は「巾(前掛けの布)」です。古く儀式のとき、男の人は服の前から布を垂らしたり、玉をつけたりしました。それらが落ちないように身に巻いたのが「帯」でした。今のベルトと同じ役割です。男性は革製の帯を、女性はひもの帯を身につけたと古い字書には書かれています。

屋

屋/篆文2200年前

至・甲骨

至/甲骨3300年前

次は「」。「屋」という字の中にある「至」の甲骨文字を見るとよくわかりますが、矢( 矢 )が地面( 地面)に刺さっている形をしています。古く大切な建物を建てるときは、神聖な場所を選ぶために矢を放って場所選びをしました。高貴な人が死ぬとしばらくその死体を納める仮の安置所が作られました。大切な建物なのでこの弓を放って場所を選ぶ儀式が行われました。そのことを表す字が「屋」です。(だから死体を表す尸〈かばね〉があります)生活や公務に使う大切な建物は「室」といいました。「室」にも矢が至る形が残っています。「屋」は後に建物一般、「いえ、やしき、すまい」の意味となり、「室」は部屋の意味で使われるようになりました。

帯屋暖簾

ところで、「捨柗」はやはりこの店の屋号でした。四代目のご主人の名前が「捨松」だったそうです。「昔、生まれた子供を松の下に捨てて、その子を拾って育てると丈夫に育つという」言い伝えがありました。そのいわれにあやかって、お店も丈夫に発展していきますようにとの願いをこめて「捨松」と名づけられたそうです。すごいネーミングですね。こうした逆手に取るような柔軟な発想が、京都の長い伝統を守りぬく底力となっているに違いありません。その由来を聞けば、名前にさえ風格を感じてしまいます。

捨

捨/篆文2200年前

松

柗・松/甲骨3300前

「捨柗」の「」という字は普段使われることの少ない字ですが、「松」という字の異体字です。暖簾では左右逆になっています。(つくり)の八と口(さい、神さまへの願い事入れた器)は気配を漂わせて神様が降りてくることを示します。柗(松)は、昔から神が降りるめでたい木として大切にされてきました。「捨柗」・・・いわれを聞けば、なるほどというネーミングでした。

京都の街を歩いていると、思わぬ所で立派な「町屋」に出合うことがあります。西陣には織物で財を成した人たちの町屋が残っています。京都という街の時間を潜り抜けてきた町衆の心意気を感じさせてくれる出合いでもあります。

放送日:2019年6月10日