霾・甲骨

今年は「黄砂」に悩まされている日本列島ですが、先週末から今週にかけて西日本を中心にまたやってきました。

「黄砂」はいつごろから日本にやってきていたのか。それはもうはるか昔からというしかありませんが、万葉集以来和歌に詠まれる「春霞」も「おぼろ月」も黄沙による自然現象が一因だったといわれています。ただ、現代と違って大気中の汚染物質を含んでいないので、今よりははるかに人体への影響は少なかったはずです。

とはいえ、黄砂の歴史は古く、殷の時代に「(はく)」という都で「雨土」が降ったと『墨子』(約2500年前)という本の中に書かれています。また、時代は下りますが、漢の昭帝の時代(約2100年前)に「天、甚土を()らし」という記述があり、宋の時代にも「天が塵土を降らせた」という記述があります。雨土とか黄土とか塵土とか、黄砂にはいろいろな呼び名があったようです。

霾・甲骨

霾/甲骨3300年前

霾・篆文

霾/篆文2200年前

ところで、風で舞い上がった砂(砂嵐)のことは、「(ばい)」と言いました。中国最古の詩集『詩経』にでてきます。訓では「(つちふ)る」と読みます。「雨かんむり」の下に「()」と「里」と書きます。難しい字で普段なかなか使う字ではないですが、「黄砂」の意味で使われます。日本では、俳句の春の季語に、黄砂を表すことばとして、「(つちふ)る」・「霾風(ばいふう)」・「蒙古風」・「つちぐもり」・「よなぐもり」等があります。例を一つ。

(ほろ)ぶ日の如く天(つちふ)れり  有馬朗人
黄・甲骨

黃・黄/甲骨3300年前

黄・金文

黃・黄/金文3000年前

こんないろいろな呼び方をされる「黄砂」ですが、「」と書くのは、いうまでもなく、砂漠の細かい砂の色のことです。その黄色い砂が舞い上がり、長い間の堆積でできた広大な土地を「黄土高原」と言います。その地域を流れている川を「黄河」。ちなみに、「広大」の「広」も旧字体は「黄」の字が入った「廣」と書きました。

ただ、「黄」の字自体は、土の色から生まれた字ではなく、昔の貴人が腰の皮ベルトに吊るした玉石((はい)玉)の形からできた字だと言われています。吊るした玉石の色が黄色がかっていたことから「黄」という意味になりました。その字が土の色合いを表す字として「黄砂」「黄土」「黄河」等に使われたのです。

沙・金文

沙/金文3000年前

砂・楷書

砂・・・古代文字なし 楷書から

ところで、「黄砂」の「」は、「石へん」に「少」(細かいという意味)の字を使いますが、「氵(さんずいへん)」に「少」と書く「」を使う字として覚えておられる方も多いかもしれません。「石へん」と「氵」どっちが古いかというと、「氵」の方です。

「氵」の「」は、「川にある細かい砂」を表す字として、3000年前にはありました。石へんの砂はそれから1000年以上遅れてできた字です。両方が並立するようになってからは、「氵」の「沙」の方が、より細かい「すな」を表すようになりました。ですから、黄砂の砂は「氵」の方がいいのかもしれません。でも、人名漢字として「沙」はありますが、常用漢字としては「石へん」の砂しかありませんから、現在はこちらが用いられています。

 

ということで、春の風物詩というより厄介者になってしまった感のある「黄砂」ですが、同じ黄色でも、春に咲く黄色い花々はひときわ目立ちます。春先から水仙、菜の花、タンポポ、山吹等など移り変わりながら彩りを添えます。中でも「山吹」は、いま、庭の一画でも、神社の境内でも、そして、山中でも、あふれるように黄色い花を咲かせています。

むかし、愛する人をなくした人は、山に入って「山吹の花」をさがしたそうです。山吹の花が咲いている場所こそ、亡くなった人が住むあの世につながる入り口だと信じられていたからです。入り口をさがして入って行けば、あの世。黄色い泉と書く「黄泉(よみ)」の国につながっていると信じたのです。はるか昔、日本の万葉時代のお話です。

春は「黄色」が多い季節と思っていましたが、「黄砂」までひと役買っていました。

放送日:2023年4月24日