2023嵯峨野秋

京都嵯峨野、広沢池周辺の稲田は稲刈りのシーズンを迎えています。激しい暑さが続いた夏でしたから、その影響が出なければと願っていましたが、いつものように稲穂を垂らして、秋を迎えていました。

ようやく穂が稔り始めた頃、道沿いの稲田に、10体ほどの「かかし」が並んでいました。昨年もありましたから恒例になっているのかもしれませんが、今年もカラフルな服を着た古典的な「かかし」が両手を広げて一直線に立っていました。

今回は、そんな秋の風物詩、「かかし」について取り上げてみます。

「かかし」は、今でこそ見る機会は少なくなりましたが、長い間、秋の田畑には欠かせないものでした。日本の古い書物『古事記』にも登場しています。とにかく、人類が作物を作り始めたころから、収穫の時期にやってきて(みの)った作物を食い荒す鳥獣には手を焼いてきたようです。

その撃退法の一つが、鳥たちの嫌う臭いをかがせ、近づけないようにする方法でした。どんな臭いが嫌われたのか、『日本国語大辞典』の「かかし」の項には、「獣の肉を焼いて串に刺したり、毛髪、ぼろ布などを焼いたものを竹に下げたりして近づけないようにした」と書かれています。これが「かかし」という名前の由来になったと言われています。関西では長い間「かかし」のことを「かがし」と濁点をつけていっていました。「かがし」は「臭いをかがせる」という意味の言葉です。今は濁点がないのでわかりにくくなりましたが、「かかし」は、嫌なにおいをかがせて鳥獣を追い払うことでした。これが「かかし」の始まりです。

それが、転じて「竹やわらで作った等身大、またはそれより少し小さい人形。田畑などに立てて人がいるように見せかけ、作物を荒らす鳥獣を防ぐもの」(『日本国語大辞典』)へと変わっていきます。日本では平安時代末頃の書物『奥義抄』の中に「田に驚かしに立てたる人形なり」と出てきます。その頃から「かかし」は稲田に立っていました。

その「かかし」に「案山子」という漢字を当てました。何でも中国の禅僧が用いたことばで、「案山子」の「案山」とは、「山の中にある低い土地」のことを指すことばだそうです。「案山」の「案」はもともと「足のある机」を表す字で、上側が平らなものです。ですから、「山の中の低く平らな土地」。つまり、人が耕作する「田畑」を表しました。その「田畑にある子(小さい人形)」から「かかし」に「案山子」の字が当てられたようです。「案山子」一つにも長い歴史があります。

さて、ここまでは日本の「かかし」の由来でしたが、古代中国ではどうだったのでしょうか。古代中国でも、秋の収穫時期に鳥獣に悩まされたのは日本と同じはずです。

恐らく、「秋」という字の中に火があるように悪臭撃退法も用いたでしょうが、他にどんな方法で撃退したのか漢字の中に残っていると白川先生はおっしゃっています※。

烏・金文

烏/金文3000年前

乎・金文

乎/金文3000年前

それは驚いた時に発する言葉(感動詞)「ああ(烏呼・嗚呼)」という字の中にあります。

「ああ」は、「(からす)」と「()」と書く「烏呼・嗚呼」です。「ああ」は、「もともと鳥獣を()う時に発する大きな声を意味する」言葉だったと白川先生はおっしゃっています。しかも、「」の古代文字(金文)は、生きた烏ではなく、縄に吊るされている死んだ烏の形で、田畑にかけ渡した縄にこの死んだ烏を吊り下げて、鳥獣がやってくると「()」という掛け声をかけて追い払ったのではないかと推測されています。確かに、現代の田畑にも、ベランダにも死んだ鳥の形をしたおもちゃを吊るして、鳥獣除けに用いている例を見かけます。形は変わっても3000年もの間、脈々と続いてきた鳥獣撃退法です。

では、「嗚呼」のもう一つの漢字「」はどうでしょうか。この字はもともと「口」のない「乎(こ・や)」という字でした。この「乎」の古代文字(金文)は、「鳴子板」の形で、音を鳴らして神さまをお呼びするための道具でしたが、その鳴子板に縄をつけ、引っ張って鳴らして鳥獣を追い払うときの道具としても用いました。

こちらも、つい何十年か前までは日本の至るところで見ることのできた光景です。私の田舎でも昔は田んぼに吊るされた鳴子を鳴らして鳥を追い払うことが行われていました。音を鳴らして鳥獣を追い払う撃退法も長い長い歴史がありました。

「ああ」という言葉に用いられた「烏」と「呼」は、ともに声や音を出すことを表す字でした。古代中国でも声や音を出して鳥獣を追い払っていたことを、この「烏呼」の漢字が教えてくれています。

稲などの作物を育てるようになって以来、人類は悪臭で追い払う撃退法、人の形で驚かす「案山子」撃退法、「嗚呼」のような声や音を用いた撃退法で、3000年もの間鳥獣たちに立ち向かってきました。その歴史は、いたちごっこだったかもしれませんが、それでも「案山子」は昔のままの姿で今も立ち続けています。けなげで頭が下がります。

※『文字答問』(白川静著 平凡社)の「12案山子」の項目を参考にしました。

放送日:2023年9月25日