今週のラジオのメッセージテーマ「椅子」に便乗します。
椅/篆文2200年前 |
倚/篆文2200年前 |
今、「椅子」の「椅(イ)」は、「 (きへん)」に「奇妙」の「奇」と書きます。もともと「椅」は「飯ぎり・南天ぎり)」という木の名前で、琴などの材料として使われたそうです。旁(右側)の「奇」には「キ」と「イ」の音があり、この場合は「イ」と読みます。
しかし、「椅子」の「椅」は古くは「イ(にんべん)」に「奇」と書く、同じ読みの「倚」という字だったようです。白川先生は右側の「奇」は、音(イ)を表すだけでなく、意味も担っていると考えられました。
「奇」は「 (き)」と「口(さい・願い事を入れる器)」とを組み合わせた形で、「取っ手のついている大きな曲刀( )」を使って神に祈ることをいい、その大きな曲刀は真っ直ぐ立たないものなので、「よる、もたれる、たよる」などの意味となり、「人がものに寄りかかる」ことを表す字として「倚」が使われたと考えられました。確かに、現代的な感覚では椅子の字として「寄りかかる」という意味を持つこちらの字のほうがピッタリな気がします。
では、いつごろ「イ」は「 」に変わったのでしょうか。実はよくわかりませんでした。
が、「 」の「椅子」という字が日本に伝わったのは、鎌倉時代の禅僧たちによってだと言われています。四角いひじ掛けのある「椅子」の実物と共に「椅子」の字も伝わったようです。おそらく、その時代までに、中国で「イ」の「倚」と「 」の「椅」との間で意味が通用(同じ意味を持つこと)して使われるようになり、入れ替わったのだと思われます。
ただ、「椅子」の「椅(イ)」が「 (きへん)」になったおかげで、「椅子」が「木」を素材に作られたのだということは一目でわかるようになりました。
子/金文3000年前 |
次は「椅子」の「子」です。この字は「ス」・「シ」「こ」などと読みますが、意味も「子ども」の他にいろいろな意味で使われます。「椅子」の場合は「小さな物の名に添える接尾語」としての役割で使われています。例えば、「帽子」や「冊子」などと使うのと同じです。小さいかどうかはありますが、「(寄りかかれる)木でできた小さな物(こしかけ)」が「椅子」ということです。
ところで、3000年以上前の漢字ができたころの古代中国では日本と同じように「座る」文化でした。「敷き物を引いてその上に座るか、背もたれのない低い台(スツール)の上に座ったようです。古代文字の中にも「敷き物」を表す字があります。
席/金文3000年前 |
宿/甲骨3300年前 |
「出席」とか「席次」というときの「席」という字です。「席」は建物の形の「厂(かん)」と「巾(敷き物)」の形からできた字です。建物の中にむしろを敷く形を表します。地上に直接敷くものは筵、その上にさらに重ねて敷くものを「席」といい、長者(目上の人)の前に座るときは席の間を一丈(約1.5~1.8m)隔てるのが礼儀だったと白川先生の字書には紹介されています。敷き物を敷いてそこに座るのが一般的だったことがわかります。寝る時もやはり床の上に敷いた敷き物の上に寝ていたようです。「宿」という字の一番古い文字(甲骨)には「敷き物」の上に「人」が寝ている姿が描かれています。
残念ながら3000年以上前の漢字の中に「背もたれのある椅子」を表す文字は見つかりません。椅子に座る生活は一般的ではなかったからです。
その後、中国では1000年以上経った後漢時代の皇帝(霊帝156年~189年)が舶来ものを好んだことから「椅子」が北方から伝わり、やがて、8世紀~10世紀ごろの唐・宋の時代には、中国は「イスの文化」へと変わっていきました。
日本は相変わらず床に「座る文化」が続き、禅僧が中国から「椅子」の漢字と共に「イス」そのものを持ち帰ったと言われるぐらいですから、背もたれ付きの椅子はかなり珍しかったと思われます。そんな日本に「椅子」の文化が広がるのは、明治以降、とりわけ戦後ということになります。つい最近のことです。
日本では「椅子」は特別な人が座る特別な物というイメージが拡がり、比喩的に「社長の椅子を手に入れる」とか「大臣の椅子に座る」など「特別な地位」につくことを表す言葉としても使われることがあります。
日本でも座る文化から椅子の文化へ。徐々に移っていくんでしょうね。畳さえ知らない世代が現われるかもしれないと思うとなんだか複雑な気持ちになります。
放送日:2023年9月11日
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