石灯篭

中京区六角麩屋町の街角にこの石灯籠は立っている。見るからにすらっとした灯籠である。余分な飾りがない。写真ではわかりづらいが、四つ辻の(かど)にあたる後ろの塀はここで少し凹み、わざわざ石灯籠を置くスペースが確保されている。塀の上には「三木半旅館」と書かれた看板がある。この地に古くからある老舗旅館「三木半」の敷地の裏鬼門(南西)に立てられている。

灯籠の文字はしっかりと陰刻され、文字がはっきりと浮き出ている。「往」だと気付くのが難しい。でも、「来」と「安全」が読めれば四字熟語である。「往来安全」と推測がつく。旅の道中安全を願って建てられた灯籠である。

「往」の文字のもとは往。一番古い文字を見ると王の象徴であるまさかりの上に足あとを乗せている形である。王の命令で家臣が旅立つとき、鉞の上に足を乗せ旅の安全を祈願する儀式があった。鉞の力を体に受け、その威力を身に移して旅立てば、安全な旅ができると信じられていたのである。のち歩くという意味の「てき」と合わせて「往」。「ゆく」という意味となる。

「来」の字は立っている麦を横から見た形。麦のことをいう。来を「きたる、くる」などの意味で用いるのはその音を借りた仮借の用法である。「安」は嫁いできた新婦が、嫁ぎ先の祖先の霊にお参りをして新しく家族の一員になったことを報告している姿である。これによってはじめて嫁として受け入れられ安心して暮らせるのである。「全」は腰に締める革のベルトに吊り下げられた丸い(ぎょく)の飾り物が完全に整っていることをいう。「すべてととのう」の意味である。安全とは心安らかにすべてが順調に進むことである。

ところで、この石灯籠は人々の旅の安全を願って三木半旅館が作ったものと思ったのだが、灯籠の裏側に「天正三亥年六月建之」と刻まれている。もしこれが本当なら「天正三」は1575年。織田信長の時代である。信長の時代にできた灯籠なら、四百四十年間人々の旅の安全をここで見続けてきたことになる。ものすごい灯籠である。でも、まてよ。それにしては文字面がきれいすぎないか。はて?そうか、信長の死後長い間土深く埋もれていて、偶然この旅館のご先祖様に見つけ出されたのかもしれない。数奇な運命をあれこれ想像すると際限がない。それにしても、京都のさりげない街角にとんでもない歴史の証人が今も(たたず)んでいるのである。

古代文字

往(往・甲骨) 来(来・甲骨) 安(安・甲骨) 全(全・篆文)