福王寺・神輿庫

天神川通りを太秦(うずまさ)から北に向かって五分ほど車を走らせると五叉路の交差点にぶつかる。福王子である。西に直角に曲がれば嵯峨広沢の池へ、北西に道をとれば紅葉で有名な高雄へと続く。北へ上がれば宇多野小学校。東へ行けば仁和寺・竜安寺へと続く道である。その分岐した交差点に面して福王子神社はある。

この宇多野の地には古くから御陵が作られており、この神社の場所も仁和寺の開祖宇多天皇の母君班子(はんし)女王の御陵地であり、その班子女王を守護神とする神社でもある。班子女王は子宝に恵まれ、多くの王子・皇女をお生みになったので「福王子」という名前がついたといわれている。

すぐ近くの仁和寺との縁深く仁和寺の鎮守社となっている。敷地は狭く、社殿も大きくはないので観光で訪れる人は少ないが、建物は重要文化財に指定されている。

十月の第三日曜日には地域の氏神として秋祭りが開催され、御輿も近隣の地を練り歩く。その御輿を入れる倉庫にこの文字は掲げてあった。「輿を担ぐ」というとおり、古代文字でも「輿」の字は車を四つの手で高く掲げる形となっている。車庫の「庫」は、古くは兵車(戦争の時に使う馬車)を入れて置く建物(蔵)のことをいう。御輿の「御」は、今は尊敬の意味を表す接頭語として用いるが、甲骨文では、ひざまずいて呪力をもつ糸たばを拝み、天から神様をお迎えして災いを防ぐという意味であった。

境内にいる間、地元のお年寄りたちが入れ替わり立ち代りお参りに来られた。地元の篤い信仰に支えられている神社だと思った。それにしても、帰りがけに不意に目にに飛び込んできた文字盤であった。思いもかけぬ出合いに感謝である。

福王寺2

古代文字

御(御)  興(興)  庫 (庫)