前々回「足あとを頭にのせる人=先」の字を紹介しました。足あとを頭にのせて「先に行く人」であることを強調する、そういう字でした。今回も同じ構造の字=儿の上に物をのせる話です。
今回頭にのせる物は口です。儿の上に口をのせれば「兄」という字になります。兄も頭にものをのせている人です。古代文字では頭に口をのせてひざまずいている人の姿の字もあります。
では、なぜ兄は「口」を頭にのせているのでしょうか。弟にも口はあるのに、なぜ兄が「口」を強調されるのでしょうか。
これまでは、長兄は家族の中で「口」でいろいろ指図をする人だからとか口うるさい人が兄だからとか口は「くち」の意味として説明されてきました。
しかし、白川静先生は「口」という字の古代文字を研究される中で違う解釈をされました。
先生曰く、「口は確かにのちの時代に『くち』の意味で使われるようになる字だが、漢字の生まれたての頃の『口』は『くち』という意味ではなかった」と。
その証拠に、
- 口という字の古代文字を見ると「くち」の形をしていない。むしろ器の形である。古代文字は、両側からつのが生えたような突き出た線があり、中に落としぶたに見える線がある。丸く閉じた口の形とは明らかに違う。
- 「くち」という意味でとらえると意味の説明できない字が多数でてくる。
例えば、石、右、古いの「古」、可能の「可」、否定の「否」等など、古い時代に作られた字はほとんど「くち」の意味で説明できない。
では、この口は一体何か。これは「神さまへの願い事を入れた器(箱)」なのです。
今私たちは願い事を「絵馬」に書いたりしますが、同じようなことを古代中国の人びとは器(箱)に入れてお願いしていたということです。(白川先生は耳鼻口の「くち」とこの口を区別するために、願い事を入れた器の意味の口を「さい」と名付けられました)。
それを兄さんに適用します。するとどういう字となるか。口の形をした願い事を入れた器=(さい)を頭に掲げる人です。それは、祖先をまつる社(やしろ)に家族の代表としてお願いごとをする時の兄さんの姿なのです。
祖先をまつる大切な役目を負う人こそ「兄」だったということです。だから、「口」が強調されました。口うるさいからではないのです。
たしかに、昔ほど厳格ではないとはいえ、家を継ぐことや先祖の供養は、今でも「長兄」を中心に行われたりしています。
兄さんは家族の願いを込めて神様にお願いをします。それが神様に聞き届けられると喜ばしいこと=「祝いごと」となります。「祝」という字の中に兄があるのは「神さまにお願い事をする役目をする人」が兄だからです。
しかし、時には、よからぬことを願うこともあります。それが、「 (さい)」をもう一つ加えた「呪」という字です。
呪うことも兄の役目だったのかと妙に納得するかもしれませんが、しかし、兄の名誉のためにひと言。正確にいうと「呪う」の古い意味は「のろう」ではありませんでした。お願い事の「 (さい)」を二つも入れてあるこの字は「祈る」というのが本来の意味でした。後世、「のろう」の意味で使われるようになりましたが、兄が呪いの願い事をしたわけではありません。「呪いの力」と書いて「呪力」といいますが、本来は「祈りの力」という意味です。
さて、口という字のパーツが入っている漢字は小学校で習う漢字だけでも六十ほどあります。漢字の中でも最も重要なパーツの一つです。ですから、 (さい)の字は至る所に出てきます。これからも、「神さまへの願い事を入れた器」=「さい」についての漢字を取り上げていこうと考えています。
放送日:2015年5月11日
古代文字
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