前回、「兄」という字をもとに、漢字が生まれた頃の「口」という字の多くが「目鼻口」の「くち」の意味ではなく、神様への願い事を入れた器「 (さい)=口」の意味で使われていたことを話しました。
今回はそんな「口(さい)」の意味を持つ字として「可能」の「可」を取り上げます。
「可」が「できる,OK!」という意味を持つようになったのはどうしてでしょうか。
「可」という字の「口」の部分が「神さまへの願い事を入れた器」だとしたら、それを右側から囲むようにある¬(かぎ)型の部分は何を表しているのでしょうか。
古代文字を見ると、曲がった枝のようにも鞭のようにも見えます。
これは本当に「曲がった木の枝」を表しています。この木の枝で何をしたのか。願い事を入れた器=(さい)をその枝でたたいて神様に願い事の実現を迫ったのです。今の私たちは神様にそんな失礼なことはしませんが、はるか昔の人々は「私の願い事を聞いてくれなかったら、承知しないよ」と言って神様に願い事の実現を求めて強く迫る祈り方をすることもあったのです。
それに対して神様が「わかった、了解した」という答えが「可」なのです。
神様が願い事の実現を約束してくれたことを神様にお許しをもらったという意味で許可の「可」や可能の「可」のように使うようになりました。
ところが、木の枝で神様への願い事を入れた器=「さい」をたたいて実現を迫っても「OK」をもらえないこともあるのです。そんなときはどうするか。
もっと強く訴えるのです。まず、枝でたたく願い事を入れた器=「可」を二段重ねにします。その上で、大きな声で実現を求めて叫ぶのです。
何という字になったでしょうか。
「歌」という字です。歌の左側は「可」の二段重ね、右側の欠は古い文字を見ると人が口を開けて叫んでいる姿を表しています。欠伸の時の「欠」です。歌とは神さまに願い事の実現を求め、リズムをつけて強く「うったえる」ことだったのです。
さて、そのようにして訴えても神さまが「OK!」を出さないこともあるのです。「ダメ」というわけです。
その字が「NO!」=否という字です。
願い事を入れた器の上に「不」という字がのっています。「不」は否定を表します。否は願い事の器の上に「不」があって蓋を開けることができない=願いを聞き届けるわけにはいかないことを表す字なのです。
可能の可と歌という字がつながっていること、否定の否も願い事のふたが開けられないので「NO!」だということをわかっていただければ今日は「可(OK!)」です。
放送日:2015年6月1日
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