姥柳1

山鉾町を巡りながらひときわ目立つ提灯を見つけた。同じ提灯が町内の至る所にあった。しかも皆同じように古びている。この界隈がいかに由緒ある町かということをこの提灯たちは物語っている。そのぐらい存在感がある。それにしてもこの味のある提灯になんと書かれてあるのかすぐにわかる人は少ないかもしれない。だが、実際に町を歩いていると推測できる。提灯には町の名が書かれているからだ。

姥柳2

ここは「中京区蛸薬師通室町西入ル」「姥柳町(うばやなぎちょう)」という。「姥柳」という字が篆書(てんしょ)体で提灯に書いてある。この町内に「山鉾」はない。が、かつて江戸時代に「布袋山(ほていやま)」という「山」を出した町との記録が残る。「山」は残念ながら天明の大火(1788年)で燃えてしまったが、焼け残ったご神体の布袋様をお守りすることと提灯を町内に掲げることは脈々と受け継がれてきた。現在、町内のマンションの一角に「布袋様」をお祀りする祠が作られ「飾り山」として祇園祭に参加している。「布袋山」が消えてから約230年という長い年月が経つ。一度消えた「休み山」を復活させることは並大抵でないことをこの古びた提灯たちはそれとなく伝えている。

「姥柳」の地名の由来はよくわからなかった。「姥」は「女」と「老」との組み合わせ。年老いた女性=「ばば、おばあさん」をいう。老いた母=老母のことをいうこともある。古い時代の文字がない字である。「柳」は「木」と「りゅう」との組み合わせ。「やなぎ」をいう。「卯」は「りゅう」の略字。溢れた水をいう。しなやかに風になびく柳の枝を水の流れのようにイメージしたのではないかと思われる。

山伏山

上の写真は「中京区室町通蛸薬師下ル山伏町」にある「山伏山」の提灯である。昔、東山の八坂ノ搭(やさかのとう)が傾きかけたとき山伏(修験者)の「浄蔵(じょうぞう)貴所(きしょ)」が法力によってもとに戻したという逸話に取材した「山」である。だから、御神体は山伏姿の「浄蔵貴所」その人である。拝むとパワーを授けてくれそうな、ありがたい「山」である。

ここでの「山」の字も隷書(れいしょ)体をベースにデザイン化した字である。「山伏」の「伏」は「イ」と「犬」との組み合わせからなる。今から三千年以上前の商(殷)の国では、王様が亡くなると地下にお墓を作り、遺体を埋葬することが行われていた。地下に埋葬した遺体が邪悪なもの、悪霊に襲われないよう遺体を守る手段が考えられた。それが「イ(人)」と「犬」とをいけにえとして一緒に地下に埋めて防御させることであった。人は鎧兜(よろいかぶと)を被り、犬とともに埋められた。臭いをいち早く察する犬が「邪悪なもの」を発見し、発見した「邪悪なもの」を鎧兜を身にまとった武者が退治することで亡くなった王様を守っていたのである。三千年以上前の商(殷)時代の古いお墓から人と犬との両方が埋められた痕跡が発見されている。「ふせるように隠れて邪悪なものを発見する」ことから「伏」は「ふせる」の意味を持つ。

今回、祇園祭の「提灯」の話を二回にわたって取り上げた。祇園祭は「山鉾巡行」をハイライトとする祭事ではあるが、山鉾町に夕闇が迫ると「通り通り」の提灯に灯が入り、何段にも積みあがった「山」や「鉾」の駒形提灯にも一斉に燈がともる。浮かび上がる各山鉾の数多くの提灯の灯りを見ていると祇園祭は「提灯」の祭でもあるのだと思えてくる。

古代文字
柳・篆文

柳(篆文)

山・金文

山(金文)

伏・金文

伏(金文)

山・金文

山(金文)

※「姥」は白川先生の『字通』では「古代文字がない」字となっている。隷書は姥・隷書

外部リンク