松・金文

今はもう懐かしい思い出としか言えませんが、私の岐阜の田舎ではクリスマスが終わると正月に向けて「餅つき」とともに「松飾り」の準備がありました。

朝早く父親が山に入って「松」の枝を切り出して持ち帰ります(松迎え)。持ち帰った枝ぶりの良い「松」は居間の鴨居の上から天井を這わせるように取り付けられました。天井に広がった松の枝に、「小判」、「宝船」、「千両箱」、「招き猫」や「鯛」「えびす様」などの縁起物の飾りをにぎやかに糸で吊るします。そして、つきたての餅を松の枝に「輪っか」を作るようにつけていきます。松の葉の緑に白い餅、色とりどりの縁起物の飾り、華やかになった部屋を眺めると正月を迎える準備の一つができあがりました。これが、岐阜県の飛騨地方に伝わる正月を迎える「松飾り」です。(年末から1月15日の小正月までの20日間ほど部屋に飾られていました。乾いて固くなった餅は枝から外して「桃の節句」の時に「あられ」にしました)。

松・金文

松/金文3000年前

松・篆文

松/篆文2200年前

「松」は正月には欠かせない木です。「門松」や「根付(ねつ)きの松」として玄関に飾る「松」も松飾りの一種です。「松」は漢字が生まれた頃から中国でも「めでたい木」とされていたようです。冬でも緑の色を失わない常緑木の「松」には、特別な力が宿ると信じられていました。新しい年を迎えるにあたって「神の宿るめでたい木」を家の中や門前に置き、幸せな年の訪れを願ったに違いありません。日本でも「平安時代」には正月の()の日に根のついた「若松」を取る風習が貴族の間にあったようです。玄関に松を飾る「門松」の風習などはすでに「室町時代」にはその原型があったともいわれています。生まれた子どもを松の根元に捨て、拾って育てると元気な子に育つとして「捨松(すてまつ)」の風習が行われていたことも知られています。

日本語の「まつ」という呼び方は、神の訪れを「まつ」神を「祀る」の「まつ」からきているとも言われています。
「松」を飾ることは新しい神を我が家に迎えることでした。飛騨地方では、本物の「松」の枝を家の中に飾って神をお迎えしたのでした。京都に住む今は、京都の風習に則って「根のついた若松の木」を玄関脇に飾ることを正月の習わしにしています。

飾・篆文

飾/篆文2200年前

ところで、「松飾り」の「飾り」という字の「飾」も不思議な字です。今は「かざる」という意味で用いることの多い字ですが、古くは違った意味で用いられました。

そもそも、「飾」には「食へん」がついているので、もとは「食」にかかわる字だったことがわかります。右側の「(つくり)」は何を表しているかわかりにくいですが、よく見ると、「布巾(ふきん)」の「(きん)」という字が入っています。「布きれ」です。食器をふく布のことでした。食器といっても神様に供える食べ物を入れる器のことです。「飾」は祭りの時などに用いる食器の汚れやほこりを布でふきとって「清める」ことを表す字でした。そこから「ぬぐう、きよめる」の意味で用いられるようになりました。布で器をきれいにしたり、清められた器を並べたりすることから「かざる」という意味でも用いられるようになりました。現在は「服飾」とか「装飾」などもっぱら「かざる」という意味で用いる字ですが、「飾る」ということは、もともと「清める」ことでもあったのです。ですから、「松飾り」とは「松で清めること」でもありました。松で清めて新しい神をお迎えする準備が「松飾り」の行事でした。

さて、飛騨のお正月前にはもう一つ大切な風習がありました。12月31日大晦日の夕方から「年取り」という行事を行ったことです。1年の終わりに1年間無事で過ごせたことを感謝し、これでまた一つ歳を重ねることを確認するようなネーミングの行事でした。夕方早めにお風呂に入って身を清め、家中の神様にお燈明(とうみょう)をあげ、主人が家族全員の前で、1年間の感謝を言い、ごちそうをいただくのです。(子どもたちも今年はどのような年だったのか一言ずつ言わされました・・・)その時の食事は、正月の「おせち」よりも豪華な料理が並びました。私の家ではいつも「松飾り」の掲げられた部屋で行いました。「年取り」。これが終わらないと一年が終わりませんでした。今もこうした風習は行われているとは思いますが、ひょっとすると徐々に減っているかもしれません。小さい時は「ごちそう」が食べられるうれしい時間と思っていましたが、今振り返ってみると一家の結束が図られる本当に大切な場であったことを「行わなくなって」しみじみと感じます。

放送日:2016年12月26日