大船鉾

幕末の蛤御門の変(1864年)で焼失した「大船鉾(おおふねほこ)」が、百五十年ぶりに祇園祭の後祭に登場した。鉾町の人びとの(かみしも)も引手の法被(はっぴ)もすべてが真新しい。

白木の屋根も絢爛さが目立つ鉾の中で木肌の素朴さを見せて、逆に眩しい。

新町通を上がって来た鉾が御池通にその雄姿を見せる。百五十年の時を超えて船出を迎えようとしたそのとき、通りを吹く一陣の風に吹き流しが真一文字にはためいたのである。

その瞬間、大船鉾の最大の見どころは船型の体形でも、その大きさでも、巨大な御幣(ごへい)でもなく、屋根の上ではためくこの三色の吹き流しにあるに違いないと感じた。「山」の上に立てられる松の木に神が宿るように、他の「鉾」の長い真木に神が降りるように、大船鉾の吹き流しに今まさに神が宿って、これから通りに潜む悪霊((けが)れ)を祓いながらゆっくりと歩みを進めるのである。

御池通で大船鉾を眺めながら不思議な感慨を持った。大船鉾に古代文字が描かれているわけではないが、その光景が、ある古代文字とあまりにも似ていたからである。

それは「旅」という文字である。甲骨文字の「旅」という字は、一本の棒につけられた「吹き流しと旗」のもとに「人びと」が連れ立つ様子を示している。古く「旅」は未開の地へ一族を率いて戦いに行く人々の姿を映したもの。旅に出ればどのような邪悪な霊に出合うかわからない。異族の地へ足を踏み入れるとき、一族を守ってくれるのがこの吹き流しに移された祖先の霊なのである。吹き流しのもとに歩みを進める古代の人びととこの大船鉾の姿が重なって、「旅」という字が脳裏を離れなかった。

吹き流しと旗。この船鉾にも三つ巴の赤い旗が掲げられている。「旗」は旅と同じ構造の字。「其」は其中堂(きちゅうどう)」の項で説明したように、ちりとり=四角いものをさす。旗が四角い形をしているのは、漢字を生み出した人々の時代からそうだったのだ。「一族」の「族」にも吹き流しがつけられている。軍隊のメンバーこそ同じ祖先の旗のもとに集まった「一族」なのである。結束を固めるために神聖な「矢」を使って、誓いを立てた仲間なのである。矢は(ちか)うともいう。

百五十年ぶりの大船鉾、見事な旅立ちである。

(この原稿は2014年7月に書いたものです)

古代文字

旅・甲骨(旅・甲骨) 車での旅(金文)(車での旅・金文)

*車は馬が引く兵車。指揮官などが乗ったのであろう。

旗(篆文)(旗・篆文)

族・甲骨(族・甲骨) 族・金文(族・金文)

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