大船鉾

京都の祇園祭は、7月17日に「前祭(さきまつり)」の巡行が行われ、いよいよ24日の「後祭(あとまつり)」の巡行を待つばかりとなりました。

「後祭」は「前祭」と比べると半分の規模ですが、それでも都大路を11台の山や鉾が巡行します。中でも、最大の呼び物はしんがりを務める「大船鉾」です。今回はその「大船鉾」を取り上げます。

祇園祭には船の形をした大きな鉾が2台あります。「前祭」の巡行に参加するのを「船鉾」。「後祭」に参加するのを「大船鉾」と呼んでいます。「大船鉾」は5年前に150年ぶりに復活した鉾です。1864年の「蛤御門の変」で焼失してしまったこの鉾を、町内の人たちが100年以上かけて再興させました。

大船鉾は、従来の「船鉾」よりも一回り大きい姿をしています。とくに船の先頭に飾られている金色の「御幣(ごへい)」は2メートル以上あり、迫力があります。といっても、長い「真木」を持つ他の勇壮な鉾とは違い、船上には屋根がつき、その下に祇園囃子を奏でる囃子方を乗せています。船尾には吹き流しを取り付けるための旗竿がまっすぐたてられ、その旗竿に三色の吹き流しが一段高く掲げられています。

吹き流しに風が吹くと真一文字にたなびきます。まるで「吹き流し」に神を宿らせ、その力でこれから京都の街の通りに潜む悪霊((けが)れ)を払いながらゆっくりと巡行を始めるようです。

その大船鉾には古代文字はありませんが、船上ではためく吹き流しを見ているうちに古い漢字を連想しました。それが古代文字の「」でした。

旅・甲骨

旅/甲骨3300年前

旅(金文)

旅/金文3000年前

甲骨文字の「」という字は、一本の旗竿につけられた「吹き流し(旗)」( 吹き流しの旗)のもとに集まった「人びと( 旗(人々))」が連れ立って歩く姿を示しています。「旗竿と吹き流し(旗)」は「 旗(えん1)旗(えん))えん」というパーツに、歩く人々の姿は「 旗(じゅう)旅・ふたりの人)じゅう」で表されています。

古く「旅」は一族を率いて未知の地へ軍隊を進める人々の姿を映したものでした。旅に出ればどのような邪悪な霊(悪霊)に出合うかわかりません。異族の地へ足を踏み入れるとき、一族を悪霊から守ってくれるのがこの吹き流し(旗)に移された祖先の霊でした。

悪霊から守ってくれる吹き流し(旗)のもとで歩みを進める古代の人びとの姿と、船上の吹き流しのもとで囃子方を従えてこれから悪霊を祓うために巡行を始めようとしている大船鉾の姿が重なったのでした。

旗(篆文)

旗/篆文2200年前

其・甲骨

其/甲骨3300年前

其・篆文

其/篆文2200年前

吹き流しと旗。この大船鉾にも吹き流しとともに三つ巴の赤い旗が掲げられています。「」という字は旅と同じ構造の字です。「 旗(えん)(旗竿と吹き流し)」と「()」との組み合わせ。「其」は四角い形をした()(竹で出来た網かご)からできた字です。ですから、「其」は四角い形のものを指します。「旗」は旗竿に四角形の布をつけた形。漢字から見ると、はるか昔から旗は四角形だったことがわかります。古く四角い盛り土の上に柱を立て建物を作りました。建物を支える四角い土を基礎の「基」といいます。「基」は其+土の組み合わせ。

族・甲骨

族/甲骨3300年前

 

氏・金文

氏/金文3000年前

旗(えん)(旗竿と吹き流し)」は、「一族」の「」にも使われています。進軍する軍隊のメンバーこそ同じ祖先の旗のもとに集まった「一族」でした。同族の結束を固めるために神聖な「矢」を使って、誓いを立てた仲間を示します。矢には「(ちか)う」という読みもあります。

ちなみに「氏族」という時の「」は、肉を切り分ける大きなナイフの形からできています。祖先に肉を捧げてお(まつ)りをした後、捧げた肉をお下がりとしてわけてもらえる範囲が一族を表す「氏」でした。

祇園祭の大船鉾の雄姿を見たことから、今回は「旅」の古代文字の話になりました。

1000年以上続く祇園祭には、今回3回にわたって紹介した以外にも古代文字がいろいろなところで使われています。祇園祭はその長い歴史ゆえに、古くから使われている漢字=「古代文字」がよく似合います。祇園祭に出かけられた折にはぜひ、使われている漢字にも注目してもらうと祭りの楽しみが一層増えると思います。

放送日:2019年7月22日