7月に入り、山鉾町のあちこちから「コンチキチン」という祇園ばやしの音色が聞こえ出しました。今回紹介する「菊水鉾」は四条烏丸から一筋西へ入った「四条室町」に建っています。
「菊水鉾」は長い真木をもつ勇壮な鉾です。25メートルはあろうかと思われる長い柱の中ほどに榊を左右に広げ、御幣が飾られている場所があります。そこに金塗りの竜の飾りに縁どられた「菊水」とこれまた金色の古代文字で書かれた青地の額が飾られています。
祇園祭の鉾の中でも長い真木に鉾の名前を飾っているのは菊水鉾だけです。龍の飾りに縁どられた篆書体「菊水」の文字が鮮やかに浮かんで見える鉾です。
そもそも「菊水」という名はこの町に室町時代からあった名水「菊水の井戸(菊水井)」にちなんで名づけられたといわれています。現在その井戸はありませんが、ビル建設の際見つかったかつての井戸の井桁組みの石の一部を使って、保存会が建立した碑が昔の名残を留めています。その碑の解説によると「菊水と呼ばれる所以は、『菊の葉より滴る露を飲み長寿を得た』という中国の故事に起因」するとのことです。
菊/篆文2200年前 |
水/篆文2200年前 |
さて、「菊」という読みは訓読みのように思えますが、実は中国から入ってきた時の音そのままです。「菊」は古来仙人の住む仙郷に咲く花として尊ばれていました。日本に入ってきたのは奈良時代のようです。古く退位した天皇の住む仙洞御所の象徴とされ、のち皇室の紋章となりました。古い「菊」の文字は、まるで「菊」の花が開いたような形をしていますが、「草かんむり」を取った「匊」という字は、両手で水をすくうという意味があります。「手へん」を付けて「掬う」という字にもなります。中国の故事のいわれのように菊水はそれだけで「(菊の葉から)両手で水を掬う」という意味合いも込めているようです。
次は「菊水」の「水」です。京都は街の下に巨大な水がめがあると言われるくらい「地下水」の豊富な場所です。今も有名な井戸が街のあちこちにあります。古く、町内には飲み水を供給する井戸があり、その横に祠などを建て「水」を守ったことが知られています。かつて、飲み水に当たることも、よからぬ疫病に悩まされることも多かった時代に、怪しげな霊が襲ってこないように井戸の側に祠を作ってお祭りし、自分たちの守り神(仏)として守ってもらえるよう努めたのでした。その始まりが、祇園祭の原形でもありました。そして、現在も8月の下旬に市内の町内ごとで行われる「地蔵盆」という風習に受け継がれているのかもしれません。
水/金文3000年前 |
泉/金文3000年前 |
原/金文3000年前 |
「水」という字の古い形は、水脈のかたわらに飛沫のような水点を配して、そのせせらぎのさまを写した文字です。その水の始まりが「泉」であり、岩の割れ目から水が湧き出す様子をクローズアップして描かれた字です。その割れ目から湧き出す水を遠景として写した字が「原」です。崖(「厂(がんだれ)」)の中から水が湧き出す様子を「泉」で表しています。その「原」が、後に「原っぱ」の意味で用いられるようになったので、改めて「水」の始まりを表す「源」という字が作られました。
「菊水鉾」の真木に飾られている「菊水」の古代文字も祇園祭の見どころの一つです。下から見上げるような角度になりますが、ビルの谷間に浮かぶこの文字を、今年は是非じっくりご覧ください。
放送日:2019年7月8日
コメントを残す