鹿・甲骨

コロナ禍の影響が至る所に波紋を広げています。人間世界は言うに及ばず、動物たちの世界にまで影をおとしています。

先日も、奈良公園の鹿たちが、観光客の減少で「鹿せんべい」にありつけず、どうしたものかと困りはてている様子(?)がニュースで取り上げられていました。飼い慣らしてきた人間が問われるべきか、この際だから鹿たちの生き方を変える手立てを考えてやるべきか・・・いやいや、まずは、目の前の鹿の救済策が先でしょと、まるで人間世界と変わらぬ議論が起こっています。今日はその「鹿」にまつわる話をします。

鹿・甲骨

鹿/甲骨3300年前

鹿・金文

鹿/金文3000年前

奈良市の鹿は、春日大社の「神の使い」の「神鹿(しんろく)」として古くから大切に扱われてきた存在です。鹿のすらっとした端正な姿が、動物の中でも気品を感じさせたのか、古代中国でも神聖な獣として扱われたようです。鹿の骨に漢字が刻まれていたり、(まつ)りに用いる青銅器の文様として鹿が描かれたりしました。「鹿」という漢字は、すでに、3300年前の甲骨文字に登場します。横から見た鹿の全身の姿をそのまま漢字にした印象的な形です。とくに、立派な「角」が特徴的に描かれています。現在の字にも、「广」の下の「 鹿・パーツ」の部分に角の名残があります。

今日、「鹿」を話題にしたのは、ここ4日間、上橋(うえはし)菜穂子(なほこ)さんの『鹿の王』というファンタジーに夢中になっていたからです。上・下巻1000ページにも及ぶ物語ですが、一気に読ませる力がありました。この物語は、5年前の2015年に刊行され、その年の「本屋大賞」にもなりましたから、読まれた方も多いかもしれません。

中心人物は、二人。得体のしれない感染症にかかった(にもかかわらず発症しなかった)主人公、鹿に似た「飛鹿(ピユイカ)」という動物に乗る戦士「ヴァン」と、その感染症の原因と治療法を突き止めようとするもう一人の主人公、医術師「ホッサル」。その「ヴァン」と「ホッサル」。二人の男たちが、人々を救うために命をかけて戦う冒険物語です。

この本をすでに読んだ皆さんには、今回の感染症騒ぎが始まった頃から、設定こそ違うとはいえ、この物語が現実に起こったと感じられたのではないでしょうか。

この物語では、狼と犬とを交配した「半仔(ロチャイ)」と呼ばれる動物が人を襲い、狂犬病のように噛みつくことでこの謎の病気を拡げる役割を果たします。そこに、巨大な国に支配され、先祖伝来の地を奪われた人々の恨みが重なり、物語は複雑に展開していくことになります。

その中に、タイトルにもなった、「鹿の王」の話が出てきます。ホッサルとヴァンが初めて出会った時、馬のように乗り回す「飛鹿(ピユイカ)」について、ヴァンが、ホッサルにこんなふうに語ります。

「飛鹿の群れの中には、群れが危機に陥ったとき、己の命を張って群れを逃がす鹿が現れるのです。長でもなく、仔も持たぬ鹿であっても、危難に逸早く気づき、我が身を賭して群れを助ける鹿が。たいていは頑健であった牡で、今はもう盛りを過ぎ、しかし、なお敵と戦う力を充分に残しているようなものが、そういうことをします。私たちは、こういう鹿を尊び、〈鹿の王〉と呼んでいます。群れを支配する者という意味ではなく、本当の意味で群れの存続を支える尊ぶべき者として。--貴方がたは、そういう者を〈王〉とは呼ばないかもしれませんが」(『鹿の王』下巻P249 )

 

「ですから、わたしたちは過酷な人生を生き抜いてきた心根をもって他者を守り、他者から慕われているような人のことを、心からの敬意をこめて、あの人は〈鹿の王〉だ、というのです。私たちが敬うのは、そういう人々で(す)。」(『鹿の王』下巻P249)

この箇所を読んで、(作者の上橋菜穂子さんも自身のブログで書かれていますが、)今、危険を冒しながらもコロナウィルスと最前線で戦っている医療従事者の皆さん、どこに潜んでいるかわからない敵に脅かされながらも、私たちの生活を支えてくれているありとあらゆる皆さんが、この「鹿の王」と呼ばれる人たちだと、私も思わずにはいられませんでした。

『鹿の王』の作者である上橋菜穂子さんの個人ブログ「木漏れ陽のもとで」には、この間のコロナ感染に関する時々の思いが、切実な言葉で語られています。いま、私が取り上げた「鹿の王」に関する内容も書かれています。(「〈鹿の王〉たちを守ろう」4月12日)

その中でも、「私たちはいま、歴史を作っている(2)」・・・「感染していると想定する力」を持つことの大切さが記してある4月10日のブログは読んでいただけるとうれしいです。

今回は、『鹿の王』という本と作者上橋菜穂子さんのブログを紹介したくてお話をさせてもらいました。『鹿の王』の話の結末は、是非本を読んで確かめていただければと思います。

最前線で私たちのために戦っておられる皆さんへのリスペクトとともに、その皆さんに守られている私は、感染を広げないためのステイホームで粘り強く応援していきたいと思っています。

放送日:2020年4月27日

 

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