雛・甲骨

前回、古代中国にも「投果の俗」(女性から好きな男性に果物を投げる)というバレンタインと似た風習があったことを話しました。今回も、古代中国の風習が日本に入り、アレンジされて今に続いている行事を紹介します。

今から1800年ほど前の中国に「魏」という国がありました。その国には陰暦3月(今の4月)の最初の()の日に、川で身を清めるという風習がありました。その行事が起源となり、やがて、3月3日の節句の行事として固定化されるようになりました。それを「上巳(じょうし)の節句」と呼びました。

上・甲骨

上/甲骨3300年前

下・甲骨

下/甲骨3300年前

「上巳」の「上」は、「上旬」=月の初めという意味。「上」は(てのひら)の上に短線がある形。「下」は掌の下に短線がある形。「上下」を表すにはどこかに基準となるところが必要なので、それを仮に掌(長い線)で示した形から生まれています。

巳・甲骨

巳/甲骨3300年前

巳・篆文

巳/篆文2200年前

「上巳」の「巳」は「ヘビ」の形を表した字です。十二支の第6番目「み」に用います。

「シ」は音読み、「み」という読み方は、音を借りる仮借の用法。動物では「()」、時刻では午前10時頃、また、その前後2時間。方角では南南東を示します。「辰巳(たつみ)」=南東。

「上巳の節句」は、旧暦3月の()の日に川で身を清めて厄を落とす行事から始まったのですが、それが日本に伝えられて、日本の風習と混ざりあい「雛祭り」へと変化していきました。

日本にも、古くから水を身にかけて穢れを落とす「禊祓(みそぎばらい)」や(わら)・紙で「人形(ひとがた)」を作り、それで自分の身体を()でて、(けが)れを藁や紙に移して水に流すという風習がありました。この藁や紙で切った人形(ひとがた)」を流す風習が「上巳の節句」で行なわれるようになり、それが雛祭りの原形になったと考えられています。

確かに、今でも「流し雛」として、紙や藁で作った「雛様」を川や海に流す行事が全国各地に残っています。その出所は、川に穢れを流して身を清める古代中国の「上巳の節句」の行事からきているようです。

その穢れ祓いの人形(ひとがた)と平安時代の京都の子どもたちの遊び道具だった紙で作られた小さな人形(ひひな)が合体して、雛人形が生まれ、やがて、家の中に飾られる「雛飾り」になっていきました。今のような華やかな雛飾りになるのは江戸時代になってからということです。古代中国で始まった「上巳の節句」もいつの間にか華やかな女の子の祭りとして、雛の節句になっていったというわけです。

折しも、旧暦の3月はちょうど桃の花の咲き誇る季節。と同時に、「桃」は、古代より邪気を祓う神聖な木でもありました。「上巳の節句」にまさにふさわしい桃の木と花が、女子の厄を祓う飾りとして添えられることとなりました。

雛・甲骨

雛/甲骨3300年前

「雛祭り」の「雛」は、鳥の「ひな」を表します。甲骨の右側には鳥(隹)がいます。左側((すう))は、手の中に多くの草がある形ですが、おそらく雛が「スウ」と音読みするので、(すう)が音を担う役割で用いられていると考えられます。

桃

桃/篆文2200年前

「桃」は「木へん」に「兆」。「兆」は占いに使う亀の甲羅にひびが入った形。未来の兆しをひび割れで示す亀の甲羅と同じパワーがある木だということで、厄払い、穢れ払いに用いられた神聖な木です。京都では平安神宮の「節分会」で、都の邪気を祓うために活躍します。

今日で如月も終わり、明日から弥生。「上巳の節句」の季節です。

放送日:2022年2月28日