正・甲骨

桜の咲く華やかな季節を迎えましたが、どことなく心の重い日々を過ごしています。
1か月前、ウクライナであがった戦火はおさまるどころか、日増しに激しくなり、泥沼化の様相を見せています。

武力で他国を侵略するという暴挙が、正義の名を借りて、また起こっています。21世紀に入ってからでも、イラク、アフガニスタン、シリア等など武力による悲惨な出来事が収まる気配はありません。

もう20年近く前になりますが、白川静先生の自宅を訪問した時、今の若者は何を学ぶ必要がありますかという質問をしました。先生は即座に「歴史を学ぶ必要がある」と言われました。

「歴史ですか、では、どんな歴史を学んだらいいでしょうか。」と聞きました。そしたら、「『十八史略』(古代中国から南宋までの十八の正史を要約した子供向けの歴史読本)やな」とこれまた即答されました。

「『十八史略』には、今アメリカがイラクでやっていることが全部書いてある。外見(服装)が違うだけでやっていることは一緒や。人間のやることは今も昔もそう変わらん。見かけが違うだけで本質は一緒。だから、これから起こる未来のことは、過去を学べば予測できる。歴史を知らんとあかんな。」とおっしゃったんです。時代が進めば、少しは人間も賢くなっているのかと思いきや、そうではないと言われた先生の言葉が急によみがえってきました。「白川先生、悲しいけど人間はちっとも変っていません」と言うしかありません。

歴史を学ぶのは歴史書ですが、それだけとは限りません。古代中国で生まれた漢字も、人間の歴史を教えてくれる一つです。一つの漢字の成り立ちに今も変わらぬ人間の本質が隠れているからです。

正・甲骨

正/甲骨3300年前

正・篆文

正/篆文2200年前

例えば、「正しい」・「正義」というときの「」の字です。古代文字では、 ゆう(ゆう))と 足あと(止=足あと)の形です。 ゆうは城壁に囲まれた邑(都市)。その都市に向かって進む姿が 足あと(止=足あと)で表されています。都市を攻めるために軍隊が進軍している様子を示しています。そして、都市を攻め落として勝利すれば、それが「正しい」ということでした。侵略する側が勝てば、勝った側が正義なのです。悪い状況を正したということです。「勝てば官軍」です。

征・甲骨

征/甲骨3300年前

征・篆文

征/篆文2200年前

ですから、都市を攻め落とせば「征服」したことになります。「征服」の「」は、「彳(ぎょうにんべん)」に「正」です。だから、今も侵略者は「正義のため」と称して、その正当性を主張して侵攻するのです。それが、フェイクでも「勝てば官軍」となるからです。「正」という言葉の成り立ちをたどれば、(いくさ)に対する古代の人々の考えが見えてきます。勝った側が正しいというのが当時の人々の考えです。そのDNAは、3000年経っても受け継がれているとしか思えません。ですから、「正」のお墨付きを得るために躍起となる政治家がいるのです。しかし、「フェイク」で塗り固めた勝利者を、私たちは「正義」とは呼ばないでしょう。それぐらいの良識を現代の私たちは持っているつもりですが、「正義」とは勝利者かそうでないかによって変わってしまう代物でもあるのです。

政・金文

政/金文3000年前

政・篆文

政/篆文2200年前

お気づきかと思いますが、政治家の「」にも「正」が入っています。征服者が最初に行なうことは、その地から貢ぎ物や税を集めることでした。抵抗するものには、鞭を振るってでも取り立てたのです。財源がなければ統治できないのは、今も昔も一緒です。「政」は「正」と手で鞭を持つ形の「攵(ぼくにょう)」から成る字です。(まつりごと)は軍事的支配によって税をとることと大いに関わりのある字でした。軍事に政治が入ってくるのは成り立ちから言えば、当然のことだと言えるのです。

ロシアのウクライナ侵攻が続く中で、「正しいとは何か」古代文字から紐解いてみました。「正」という字の成り立ちを知れば、なかなか軽々しく使うことのできない重い中身のある字だとわかっていただけたかと思います。

ただ、「正」の字の成り立ちや白川先生の言葉が人間の本質を指す言葉だとしても、それを乗り越える英知が人間にはあることを私は信じたいです。

放送日:2022年3月28日