土・甲骨1

今年の秋、大覚寺の近くの嵯峨の地で、畑づくりを始めました。土を掘り起こし、(ぬか)やもみ殻を撒いて、植え付けの準備をするところから始めました。長い間、忘れていた土の匂いを嗅ぎました。アフパラの皆さんも先週は備前市で陶芸の体験をされてきたとのこと。やはり、「土」にふれて、その感触に力をもらわれたのではと思っていました。

そんな「土」つながりで、今回は「土」に関連する漢字を取り上げます。

土・甲骨1

土/甲骨3300年前

土・甲骨2

土/甲骨3300年前

」という字の一番古い字(甲骨)は、地面の上に石が立っているような形です。ですが、それは石ではなく、土饅頭のような形をした土のかたまりです。土を盛り上げて、そこに、土地の神さまを祭ったのです。(右側の字のように神さまにお酒をふりかけている字もあります。)生まれた町の神社の神を「産土(うぶすな)の神」というのは、この神さまのことです。産土の神がおられる場所、それが「土」でした。今私たちは「土」、「土」と軽々しく言っていますが、もともとは土地の神さまがいる場所を示した字だったのです。

社・篆文

社/篆文2200年前

その場所で、土地の神さまをお祭りするようになったことを示す字が、「(やしろ)です。神さまへのお供え物を置く台を表す「示」に「土」と書きます。

「土」は命の源です。食物を育て、命を支える大もとでもあります。その上、焼けば、器にもなる驚くべき力を秘めていました。そんな土こそ、古代の人々にとっては、自分たちの命を守り、支えてくれる「神さま」でした。大事にしないわけにはいきませんでした。残念ながら、現代はそんな大事な神さまを疎遠にしてきた時代かもしれません。本当は今も「土」によって、多大な恩恵を受けているのですけど…。

さて、そんな「土」が入った字の中から、2つ紹介します。

一つ目は、「」です。

至・甲骨

至/甲骨3300年前

室

室/甲骨3300年前

屋

屋/篆文2200年前

古代文字を見ると、「至」は弓矢の「矢」が地面にささった形です。弓矢を放ってその矢が落ちた場所。それが「至る」です。

では、一体なんのために弓矢を放つのでしょうか。それは、大切な建物を建てる時の土地の選定を行うためでした。弓矢の「矢」には魔(悪いもの)を寄せつけない特別な力があると信じられていました。その矢を放ち、落ちた場所こそ、魔を除けた場所((けが)れのない場所)だということで、その場所を選んだのです。

ですから、そこに大切な建物を建てました。その建物が「うかんむり」に「至」と書く「」です。そこに、亡くなった人を祀る建物を建てた場合は、「尸(しかばね)」と「至」で「」という字になります。ともに「室内」「屋外」など建物に関わる字として今も用いられています。(時代は違いますが、日本でも平安時代の陰陽師(安倍晴明など)が、天皇の死後、墳墓(お墓)を作る場所の選定に、矢を放って選ぶ方法を用いたことが今昔物語に出ています。)

基・金文

基/金文3000年前

旗(篆文)

旗/篆文2200年前

もう一つは「基礎」の「」です。「基」は「()」と「土」との組み合わせです。
「其」は、四角いちりとりの形で、「四角いもの」を表します。この場合は、四角い土の形です。当時、建物は、四角く盛った土の台の上に建てました。建物の土台、基礎になるところから「(もと)」という意味にもなりました。すべてのもとは、文字通り「土」だったのです。其が四角いものを表すので、「」という字の中にも用いられています。旗は、はるか昔から「四角いもの」でした。

殷墟建物跡

(3300年前 殷墟建物跡 四角い基壇が見える)

放送日:2022年10月17日