四条室町を北に入ったビルの谷間に「菊水鉾」は立っている。祇園祭に登場する多くの鉾の中で、長い真木に鉾の名前を飾っているのは菊水鉾だけである。両側に榊を広げ、その真ん中に龍の飾りに縁どられた篆書体「菊水」の文字が鮮やかに浮かんでいる。
菊水の名はこの町に室町時代からあった名水「菊水井」にちなんで名づけられたという。
現在その井戸はないが、ビル建設の際見つかった旧井戸の井桁組みの石の一部を使って、保存会が建立した碑が昔の名残を留めている。
その碑の解説によると「菊水と呼ばれる所以は、『菊の葉より滴る露を飲み長寿を得た』という中国の故事に起因」するとのことである。この鉾の稚児人形はその故事を能にした「菊慈童」の能装束の舞姿である。
さて、「菊」という読みは訓読みのように思えるが、中国から入ってきた時の音そのままである。「菊」は古来仙人の住む仙郷に咲く花として尊ばれた。日本に入ってきたのは奈良時代のようである。古く退位した天皇の住む仙洞御所の象徴とされ、のち皇室の紋章となった。この鉾の鉾頭には菊型の飾りもつけられている。
「水」の字について白川先生のこんな文章を思い出す。
「水はつねに聖なる力の源泉であった。清冽な泉は新しい生命を生み、ほとばしる渓流には生命のリズムがある。また汪洋たる大河はその流域に文明を生み、それを養い育てた。文明のはじめのときに生まれた文字の形象のうちには、そのような水と人間との深い関わりが古い記憶として残されている。水という字は水脈のかたわらに飛沫のような水点を配して、そのせせらぎのさまを写した文字である。(略)」(『文字遊心』水の民俗学より)
産湯から始まり末期に至るまで、水は人の一生とかかわる。汚れを祓うのも水。聖なる水に人々はすがって生きる。その壮大な水と人とのかかわりを語る文章の始まりである。
祇園祭も悪霊や汚れを祓うための祭りである。町内に掘られた井戸の側には小さな社や祠が建てられることもあった。京都の祠の数は町内に一つ必ずあるといってもよい。飲み水に当たることも、よからぬ疫病に悩まされることも多かった時代に、怪しげな霊が襲ってこないように井戸の側に祠を作ってお祭りし、自分たちの守り神(仏)として守ってもらえるよう努めたのである。
祇園祭はその大型版である。「鉾」の屋根から伸びた真木は、神が降りてこられる大木をイメージしている。「山」には神の降りる木とされる本物の松の木が使われる。神を呼び込んで悪い霊を追い払ってもらうのである。暑い季節の到来する前に厄祓いをおこなう京都の悪霊退散を願う行事である。
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