ラジオ第53回「暑い夏」

夏・篆文

夏本番を迎えています。今回は「夏」という字を取り上げてみたいと思います。前回(第52回)「鼻」という字をとりあげました。「鼻」を表す最初の字が「自分」という時の「自」だという話をしたときに、岸田君がその「自」というパーツが入っている字の例として「夏」という字を挙げたんですね。その時、私は「形は似ているけど、ちょっと違うんですね」といって終ってしまった字です。

確かに「夏」という字を書いて見ると、「自」というパーツがあるように見えます。が、正確に言うと「自」というパーツの上に一本横棒があります。その横棒とセットで考えなければいけない字なのです。これは「鼻」ではなくて、むしろ「顔」、「頭」という字に使われている「(けつ)」(儀式の折に神を拝む人のおごそかな顔つきを横から見た形)と一緒の字です。「夏」という字の「篆文(てんぶん)」には、顔の横に「手」を表すパーツがあり、下には足をあげて降ろす形の「()」があることから、頭に冠か飾りをつけて両手、両足を高く上げて舞い踊っている人の姿を表していると考えられています。

夏・篆文

夏/篆文2200年前

その舞い踊る姿と季節を表す「なつ」とは、実は直接関係がありません。その踊りを表す字の「カ」という音だけを借りて、「なつ」を表す字としたと思われます。しかし、それでもなんらかの関係があるのではと考える人は、その舞い踊る生き生きとした姿こそ、自然の勢いが最も盛んになる「夏」の季節を象徴するものとして、この「舞い躍る」姿の字形が選ばれたのだと考えています。

「夏」は季節を表す字として使われることの多い字ですが、国の名前として、あるいは、「中国」全体を表す字として使われることがあります。

中国には三千数百年前に漢字を生み出した商(殷)という国がありましたが、その商の国の前に「夏」王朝という国があったことがわかってきました。また、古く、中華の「華」という字を「夏」と書いて「中夏」という言い方もありました。さらに、「華夏」という言い方もあり、中国全体を表す意味で用いられました。生き生きした勢いのある国というイメージが「華」と「夏」にあるからかもしれません。「華」も花が開花して一番輝いていることを表す字です。

暑・篆文

暑/篆文2200年前

さて、その夏につきものなのが、「暑さ」です。暑すぎるのはいやですが暑くないと夏らしくありません。「熱」のほうではない「暑い」、「(しょ)」という字の成り立ちです。

「暑」という字の上側の「日」の部分は「お日様=太陽」を表しています。それだけで「日の暑さ」を表すといえなくもないのですが、下に「者」という字があります。それは何を表しているのでしょうか?

一つの考え方は、「(おん)」を表すためだけに使われているという考え方です。「者」という字には「シャ」だけでなく「ショ」という音もあるという説明です。たしかに「警察署」の「」も「者」の入った字で「ショ」と読む字です。

署・篆文

署/篆文2200年前

もう一つは、「者」の入った字で「温度の熱さ」を連想する字があることから「日のあつさ」を表す意味がでてくるというものです。その字は鍋でものを「()る」というときの「(しゃ)」です。「者」に「灬(火)」をつけると「煮る」。その「者」と「日」で、「煮えたぎるようなお日様」をイメージすると「暑」はめちゃくちゃ暑いお日様のイメージが浮かびます。なるほど、前者の「音」だけを表すという考え方より、「煮る」という字とつなげる後者のほうが話としてはよく出来ている気がします。

煮・篆文

煮/篆文2200年前

熱・篆文

熱/篆文2200年前

「暑い」も「夏」も意外な成り立ちでした。暑いという字の中に「煮えたぎるようなお日様」のイメージがあり、「夏」という字には、舞い踊る人の姿の中に命の躍動を感じさせる「夏」の季節のイメージが入っている・・・それぞれの字の形の中に今私たちが用いている意味のイメージがちゃんと入っている。そんなことも理解しながら漢字をおぼえると漢字はもっと親しみのあるものになっていくように思います。

註:

白川先生の説では、「暑」の中の「者」という字は本来「邪霊を祓うお札を埋めたお土居(土の垣)」の意味で用いられる字です。「者」が土の中にお守りを入れている字だとすれば、ものを()るという字の中に使われるのは意味の上ではおかしな使い方です。では、どうしてこんな使い方になったのでしょうか。実は「者」と音が近かった「庶」という字とが混同して用いられてしまった結果だと白川先生は考えておられます。

確かに、「庶」は「厨房の屋根の形」の「广(げん)」の下に「廿(じゅう)(鍋の形)」を据えて、下から「灬(火)」を加える形で文字通り「にる」ことを表す字です。「庶」の入った字に「(さえぎ)る」がありますが、本来「邪霊」がお土居に入り込まないよう「さえぎる」役割こそ「者」であるので、「庶」ではなく「者」を使わなければならない字だということです。成り立ちから言えば「煮る」は「庶る」、「遮る」は「 しんにょう 」に「者」と書く字だったのです。

こう考えると白川説のように使い方が交替してしまった例とするのが妥当かもしれません。漢字の使われ方の中では音が近いことで意味が入れ替わってしまうこともあるのです。いずれにせよ、「暑」の下側のパーツは本来の使い方ではないとしても「煮る」イメージには変わりがありません。

放送日:2016年8月8日


1 Comment

  1. ラヂヲネーム・習志野権兵衛

    2016年10月4日 at 5:33 AM

     「暑」を「『日』の下の『者』は『暑』い」と憶えた者です。だから、「煮」は、「石川五右衛門がかまゆでになって『煮』られる」と憶えました。ずいぶん違っているようですね。でも、たぶん、いや、きっとこれからも、僕と同じ憶え方をする人が多いでしょうね。

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