山科天智天皇陵の日時計

地下鉄東西線「御陵駅」2番出口から三条通を東に向かう。10分ほど街中を歩くと突然、左側に森の気配を感じる。そこが天智天皇陵の参道入り口だった。その入り口のそばに、この「日時計」は建っている。

大きくて歴史を感じさせる立派な日時計である。昭和13年(1938年)に「京都時計商組合」が20周年を記念して建立したものである。かれこれ、80年余の歳月が経っている。日時計だからこそ、現在も影を刻み続けている。日時計の上側にある「天恩無窮」の篆文体がまぶしい。「天恩」は天から与えられる恩恵。「無窮」は極まることがない、永遠に尽きないという意味である。

ここは日本で最初に漏刻(水時計)を作ったとされる天智天皇の陵墓。天智10年4月25日のことである。太陽暦に置き換えると西暦671年6月10日。今この日は「時の記念日」となっている。「天恩」は、日本で最初に時計を作った天智天皇のご恩に報いるための言葉を指すのかもしれない。あるいは、日時計のように時の刻みははるか昔から天体(太陽)の動きを通して読み取られていたことを考えると「天」はまさに太陽を指すのかもしれない。私たちはあらゆる恩恵を天の太陽から得ている。天智天皇の恩恵であれ、天の太陽の恩恵であれ、時は永遠に尽きることなく流れている。

山科天智天皇陵の日時計_天恩無窮

「天」は、甲骨の時代からある字。人が手を広げて正面を向いて立っている姿=「大」という字の上に頭のてっぺんを指す「━」をつけた形からなる。人の頭のてっぺんを指す「天」が、やがてはるか上空の空のてっぺんをも指す意味へと広がったのである。

「恩」は、篆文の時代の字。因と心との組み合わせ。「因」は人が筵のような敷物の上で寝ている姿。この敷物は布団のように常に使用し、親しむものであるから「心」を添えて「いつくしむ、大切にする、かわいがる」といった心情を表わす意味となる。

「無」は、「両袖にヒラヒラの飾りをつけて舞う人の姿」から生まれた字で、舞のもとの字である。その「無」が、有無の「無」=「なし、ない」の意味で用いられるようになり、もとの「まう」を表わす字として新たに「舞」の字が作られた。「舞」は「無」と舞うときの足の形である「(せん)」とを組み合わせた字である。

「窮」は「穴」と「(きゅう)」との組み合わせ。躬は身、体のこと。狭い穴に身を弓のように折り曲げて入り込む形なので、「窮屈(くるしい)」、「窮極(きわめる・きわまる)」の意味となる。「無」と「窮」を合わせて、「極まることがない」。

「日時計」「水時計」から始まる時の刻み。その恩恵は21世紀の今なお尽きることなく続いている。

天・篆文

天/篆文

恩・篆文

恩/篆文

無・金文

無/金文

無・篆文

無/篆文

窮・篆文

窮/篆文