大法院の紅葉

この秋、「妙心寺」の塔頭「大法院」の「露地庭」を訪ねた。客殿の間で抹茶をいただき、静かに庭の紅葉を観賞する。柱に仕切られたキャンバスの中に風が吹くとゆるやかに紅葉が散って、なんともゆったりとした極上の秋の一瞬間(ひととき)を過ごした。

大法院_額

帰りがけに玄関脇で板戸の上の八角形の(がく)を見つけた。古びた不思議な形の額に篆書(てんしょ)体の「(せき)」という字が書かれてある。しかも、その板戸に通じる短い廊下の真ん中に「(きぬた)」がちょこんと()えてある(写真下)。これはいったいなんだろうと思ってお寺の方に聞くと、この板戸の向こう側は「茶室」であるとのこと。「砧」は「結界」の役割をしているのだそうだ。そこから先には立ち入れないのである。

大法院_砧

「茶室」の入り口に掲げてあるベーゴマのような形をした額は「茶室」の名前かと思い、改めて聞いてみると「古く茶室のことを『(せき)』といった」とのこと。だから、「關」の字が掲げてあるというのだ。どうして「關」が「茶室」を表すのか引っかかったが、すぐに奥の間に入られたので、聞けずじまいとなった。

「關」は門とかんかんとの組み合わせである。門は両開きの扉の形。かんかんは門の戸を閉めるための横木=かんぬき。鍵の一種である。門の中央にかんかんをおいて門を「とじる」の意味となる。「關」は「関」のもとの字である。交通の要所で門を閉じ、通行者を検問し、取り締まるために設けた場所を「せき関所せきしょ」という。そこは通行者の出入り口でもある。だから「玄関」。検問し、取り締まる場所。だから「難関」と用いる。「関」はそこを通る人を留め、通してよいかどうかのやり取りを交わす場所。だから「関係」・「関与」等とも用いる。意味の拡がりが多い言葉である。

大法院の「關」はかん(かん)の部分の下側が「きょう(きょう))」の形で、両手を表す形となっている。両手で「かんぬき」をもちあげているような形で描かれている。同様の形を持つ「開」は、「門」と「開」との組み合わせではなく、「(かんぬき)」と「(きょう)」との組み合わせである。両開きの扉にある閂を廾(両手)であける形からなる。

さて、「(せき)」がどうして「茶室」の意味となったのか、寺の方に聞けずじまいであったが、「關」の意味の中にヒントがありそうだ。茶室とは、狭い空間の中で主人と客が隔てなく茶を通して「かかわり」を深める場所である。旅人が「関」を通して一瞬のかかわりに身をゆだねるように、茶室もまた主人と招かれた客が一瞬の「かかわり」に身をゆだねる場なのである。まさに「一期一会」の。