綾傘鉾1

綾傘鉾(あやがさほこ)」は、四条通より一筋南、烏丸通(からすまどおり)より一筋西へ入った、下京区綾小路通室町西入善長寺町にある。すでに応仁の乱(1467~1477)以前から巡行に参加していた記録を持つ由緒ある鉾である。が、「鉾」と名がついているのに勇壮な姿でないからなのか、昼間に何度通りかかっても、もう一つ印象のない「鉾」でしかなかった。誠に失礼ながら、今回、飾り提灯に「綾」の篆文(てんぶん)が書かれていることに気づいて、立ち止まったような次第である。

綾・篆文(綾・篆文)

この鉾は「傘鉾」と名前がついているように、飛天像の絵柄が織り込まれたつづれ織りの円形の胴飾りを大きな傘で覆っている形(天蓋(てんがい)というらしい)である。真ん中の傘の芯棒がしっかりと台車に固定されている。確かに勇壮ではないが、よく見れば実に優美な形をしている。この傘鉾に「綾」の名前がついているのは、おそらく五百年以上も前から「綾小路通り」のこの町内から祇園祭の巡行に出て行った証に違いない。

I綾傘鉾2

それだけに「綾」の字は譲れないシンボルなのだ。だから、提灯にも台車の(かざ)り金具にもシンボルマークとして使われている。それだけではない。天蓋の中を下から覗いてみると、傘の外周に「綾」の篆文がびっしりと並んでいる。黒く塗られた竹の骨の美しさと透けて見える無数の「綾」の字を彩った傘のデザインにしばし魅了される。

綾傘鉾3

そもそも、「綾」という字は「糸へん」と「(りょう)」との組み合わせ。「夌」には「ひしの実」のとがった(かど)菱形(ひしがた)という意味がある。「糸へん」のつく「菱形」=「綾」は、「菱形」の模様を織り出した絹のことをいい、「あやぎぬ、あや」の意味で用いられた。だから、「綾傘鉾」の会所である「大原神社」で授ける「手ぬぐい」は、菱形の(がら)を基調にしている。

綾傘鉾4

ところで、祇園祭は、疫病や(わざわい)をもたらす悪霊を鎮める神事から始まった祭りだ。悪霊を鎮めるために、神の()り代としての小型の鉾を町々に飾り、持ち歩いて悪霊退散を願ったのが始まりと言われている。神を(まつ)った鉾の前を、棒を振って(はや)したり、鳴り物をたたいて囃したりして悪霊を追い払う「はやしもの」の神事も行われた。その姿が祇園祭の一番古い面影を残しているといわれている。傘鉾の名前を持つ「四条傘鉾」と「綾傘鉾」は巡行の行列に今もその一番古い「はやしもの」の姿を残している。

背の高い真木を持った鉾が勇壮に通りをめぐる姿を「巡行」だと私たちは思いがちだが、鉾の巡行の原型は、意外にも「四条傘鉾」や今回取り上げた「綾傘鉾」のように小型の神の依り代=「傘鉾」と露払(つゆはら)いのように演じられる「棒振り囃し」とを合わせた行列だった。そんな「傘鉾」の行列こそ、祇園祭の原点を今に伝える貴重な鉾行列なのだということを、遅ればせながら今回学んだような次第である。

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