聖・甲骨

優れた人の条件とは何でしょうか。頭の回転の速い人でしょうか、話がうまい口上手な人でしょうか、それとも本質を見抜く目を持つ人でしょうか。「頭」か「口」か「目」か、いや、もう一つ大切な器官があります。それは「耳」です。

人の話をしっかり聞くことができる人、すぐれた耳を持つことは、古代の人びとにとって大切な能力でした。それは、人の声ばかりではなく、神の声が聞ける人でもあったからです。かすかな音で表される神の声を聞くことは誰でもできることではありませんでした。すぐれた耳を持つ人だけが聞くことができました。その耳を持つ人こそが「優れた人」でした。

その人を「聖」といいました。古代文字は「大きな耳を持つ人」の形で描かれています。大きく耳を描いて耳の働きを強調しています。まさにダンボのような耳を持つ人なのです。のち願い事を入れた器=口(さい)をそえて「聖」という字になりました。(今「王」と書く部分は、古くは「(てい)」と書き、人がつま先立ちをしている姿を表しています)。

聖・甲骨(聖・甲骨) 聖・金文(聖・金文)

「聖人」とは神秘的な霊力を持つ人、神の声を聞くことのできる人でした。日本では、優れた修験者・お坊さんのことを「(ひじり)」と呼んでいます。

「聖」が神の声を「きく」ことができる人ということから、「きく」という字も「神の声」を「きく」ことから生まれました。現在「きく」という字には「門に耳」の「聞く」と、聴覚の「聴」と書く「聴く」という字があります。

門に耳の「聞く」はただ単に「きく」時に、聴覚の「聴く」は積極的に耳を傾ける聴き方をする時に使うなどと習ったかもしれませんが、もともとはそのような区別はありませんでした。ともに、神様の声を「きく」ということから生まれた字でした。

聞・甲骨(聞・甲骨) 聞・篆文(聞・篆文)

門に耳の「聞く」という字の「門」は神様をお祀りする(やしろ)の両開きの扉を表しています。扉の奥から聞こえてくる神様の声を聞こうとしている姿が「聞」という字です。甲骨文字はその声を耳に手を当て聞こうとする姿そのものです。

聴・甲骨(聴・甲骨) 聴・篆文(聴・篆文)

聴覚の「聴く」は、神様の声を聴ける人が優れた人であることを示しています。「耳」と徳のある人の「徳」という字の右側との組み合わせです。旧字体の「聴」という字=聽は、聖という字と德という字との組み合わせになっていて、徳のある立派な耳を持つ人をいう字なのです。まさにそうした聡明な人だけが「神の声」を「聴」けたのです。聡明の「聡」にも「耳」があります。かしこい人は耳のいい人でもあります。

聡・篆文(聡・篆文)

人の体を表す器官の中で「耳」と「目」は人間の優れた能力を示すところとして使われることが多いのです。それだけ人間にとって大切なところということなのでしょう。

では、目はどうでしょうか。

「目」は物理的に物を見るというだけでなく、見えないものを見る目=本質を見る目としても使われます。今回取り上げた「徳」という字の中にも「目」が横たわっています。「徳」とは、まっすぐな心、本質を見抜く目の力を持っていることです。「まっすぐ」という時の「直」という字にも「目」があります。隠れている本質を見破る目なのです。

人の優れた能力を表す字に「耳」と「目」が使われていること、ご理解いただけましたでしょうか。

今回は「耳」の持つ優れた力の話をしました。次回も「耳」の話の続きをしたいと思います。

放送日:2015年10月26日