面・甲骨

前回(8月10日)、うらめしいの「うら」、うらやましいの「うら」が、外から見えない「心」のことを表わしているという話をしました。

その「心(うら)」の対義語は、「おも(て)」でした。中国では、毛皮の「裏」に対して「表」と言いますが、日本では「心(うら)」に対して(漢字を当てれば)「面(おも)」が対義語でした。心(うら)で抱いた感情が外に現われるところが「面(おも)」=顔でした。今回は、その「心(うら)」に対する「面(おも)」について取り上げてみます。

面・甲骨

面/甲骨3300年前

まずは「」という字の成り立ち。普段「面」という字の真ん中に「目」があることは意外に意識しないかもしれません。実にうまくまぎれ込んでいますから。でも、「お面・仮面」は顔にかぶるものですから必ず目の部分は開いています。開いた目こそ「お面・仮面」を象徴するところです。三千年以上前の古代中国の人々も顔の形の真ん中に大きな「目」を入れて「面」という字を作りました。

日本では古く「顔」のことを「おも」といいました。現在でも「面長(おもなが)」と言い、能の世界では被る面のことを「おもて」といいます。

日本では面(おも)は顔でした。その顔に見えない心情が表れることを、「おもう(ふ)」と言いました。喜怒哀楽の素朴な感情が顔の表情に現われることを、日本では、「おもう(ふ)」と言ったのです。うれしいことも腹が立つことも悲しいことも楽しいことも顔の表情に現われる、それが、おもっていることでした。「おもう」・「おもい」は顔の表情に現われる「うら(心)」のことでした。

そんな、「顔」を表す「面(おも)」から始まる日本語を、他に何か思いつきますか。

一つ目は「おもしろい(面白い)」です。文字通り「面(顔)が白い」と書きますが、古く、「白い」には、色の白さのほかに、明るい様子を表わすという意味もありました。目の前がパッと明るくなるように人をひきつける様子を表わしたので、「心が晴れ晴れする様子、興味深い、趣深い」等という意味を持つようになりました。ちなみに、「おもくろし」という言葉もあります。こちらは「黒」ですから、「面黒し」。「面白くない、つまらない」という意味で用いられていました。

赴・篆文

赴/篆文2200年前

趣・篆文

趣/篆文2200年前

次に、「おもむく」です。漢字で書くと「面向く」=面が向く(方向)。ですから、どこかの場所に顔を向けて行くことを「(おもむ)く」といいます。「赴任」の「赴」です。また、一つのことにずっと顔を向けて一心に取り組むことから「趣味」の「趣」、「趣深い」などと用いる「趣く」があります。すべて、「顔がずっと向き続ける」ことを表した言葉です。

それから、現在は「面目(めんぼく)ない」という言い方が一般的ですが、同じ意味を持つ古い言葉に「おもなし(面無し)」がありました。「面(顔)が無い」。まさに、「あわせる顔がない」、「面目ない」です。

最後に、「おもねる」という言い方も紹介します。顔を右に左に向けることを表わす言葉です。人の顔色を見て都合よく合わせることを表わす言葉なので、「へつらう、追従(ついしょう)する」などの意味で用います。いい意味では用いないこの言葉にも「面(おも)」が入っています。

思・篆文

思/篆文2200年前

念・篆文

念/篆文2200年前

想・篆文

想/篆文2200年前

懐・篆文

懐/篆文2200年前

古代の日本の人々は、隠れて見えない心の様子は顔の表情によって表面に出ると考えていました。「おもう」・「おもい」などの言葉が代表です。それは顔を赤らめたり、眉間にしわを寄せたり、涙をこぼしたりする、素朴な心の中の感情を表わす「おもう」・「おもい」でした。

ところが、中国から漢字がもたらされたとき、古代の日本の人々は、見えない心の中で生まれる「おもう」には顔に現われる素朴な感情だけでなく、もっと多くのバリエーションがあることを知ります。

頭を掻きむしりたくなるように思いわずらう「おもう」。心に蓋をするように深くものごとを考える「おもう」。会えない人のことを心の中で思い描く「おもう」。死んだ人を懐かしく思い出す「おもう」。「おもう」にも様々な「おもう」があることを知ります。

それで、その意味に応じた漢字を当てはめました。頭をかきむしるようなおもい方には「(おも)」。深くものを考えるようにおもうのは「念ずる」の「(おも)」。見えないものを心に描くおもい方は「想像する」の「(おも)」。死んだ人のことを懐かしむ「おもう」は「(おも)」と書きました。(参照:第51回ラジオ「『おもう』という字について」

中国から漢字がもたらされたことで、「おもう」という一語しかなかった日本古来の言葉=和語が、漢字を使い分けて書くことで、ぐんと意味の広がりを持つようになりました。日本の古代の人々は、書き言葉を手に入れたことで、日本語をグレードアップする契機をつかむことができました。

それは和語にとって画期的なことでした。一つの和語にいろいろな漢字を当てはめることで新たな言葉のニュアンスを広げていく画期的な技=「訓読み」を編み出してくれたからです。そのおかげで、同じ読み方をするのに違う漢字を当てはめる「同訓異字」の言葉を大量に生み出しましたが、同時に細かなニュアンスを使い分ける豊かな言葉の世界も手に入れることができたのです。

しかし、現代の子供たちが学校で習う「おもう」に当てられた漢字は「思う」のみです。「念」も「想」も「懐」も「おもう」という訓読みが認められていません。あんなに豊かだった「おもう」のバリエーションが、今は一通りしか許されていません。昔の人々の方が、はるかに豊かな日本語の使い手だったのです。とても「うら悲しい」気がします。

放送日:2020年8月24日