蘆山寺通千本を東へ入ったところにこの看板はかかっていた。看板には右側に柔らかなタッチでひらがなと行書体の「にしむら 姫小機」、左側には篆書体で大きく「手織機」と彫られていた。その字体の配置に味がある。織物の機械を作る「織り機」屋さんである。織物を売る店と違って、入り口は殺風景なくらいがらんとしていた。
西陣界隈の小路を自転車で走っていても、機織り機の音が聞こえてくることはめったにない。昔の面影は影をひそめてしまった。当然のことながら、その織物のための機械も需要は少なくなったはずだ。ましてや手織りとなったらなおさらである。工場におられた息子さんに今こういうお店はどのくらいあるのですかと尋ねたら、「もうほとんどありません」とのこと。西陣に唯一残った機織り機のメーカーなのである。
中国での織物の歴史は古い。甲骨文字(3300年前)に「蚕」の文字が残っている。はるか昔から、糸を紡ぎ、衣服として加工していた。横糸・縦糸を表す「緯」や「経」の字も2000年前には使われている。赤ちゃんが生まれると、刀(はさみ)で布を裁ってはじめての産着を作る。それを「初」という。
手織機の「手」という字は掌を開いて見せた形からできている。五本の指を示す。「織機」は織物の機械のことだが、この二つの字には共通点がある。「糸」のほかに「戈」の字があること。古く戈にまじないの飾り(呪飾)をつけることが行われた。「織」は印として赤色の帛を飾りとする。「機」は糸飾りをつけて悪い霊を察知し、問いただすことをいう。「織」はこの赤い帛の色から模様のある織物(織文)のことをいうようになり、「機」は「しかけ(工夫)」をして悪い霊を問いただすことから、しかけのある道具=機械の意味で使われるようになる。「機」は「機先を制する(先手を打って人より有利な立場に立つ)」のような使い方の中に古い意味を残している。
帰りがけに、この看板はいつごろ彫られたものですかと聞いたら「まだ新しいです。看板の一代目が古くなったので代えたのです」「一代目を見せましようか」といって隅から取り出してこられた。それが上の写真の板である。「古いほうは手彫りですが、新しい方の手織機の字は機械で彫りました」。言われればそんな気もするが、言われるまで気づかなかった。驚きである。それにしても、古い看板にまだまだ捨てがたい味わいが残っていた。
手(金文) |
織(金文) |
機(篆文) |
蚕(甲骨) |
戈(金文) |
初(金文) |
2016年5月7日 at 10:31 PM
今日の勉強会ありがとうございました!漢字の面白さに感動しました!これから勉強します!宜しくお願い致します!