前回お話ししたように、「言」は (さい)の上に辛(針)をおいて、もし願い事の言葉に嘘偽りがあったら、自ら入れ墨の刑を受けますと神様に誓いを立てて祈る言葉でした。
こんな激しい誓い方をするのは、口に出した言葉は絶対正しい、絶対実現すると信じられていたからかもしれません。今でも、実現したい言葉を口にすることで何としても実現するのだという強い思いを込めることがあるのも、「言」のこの激しい性格を受け継いでいるからかもしれません。(サッカーの本田選手は、「W杯で優勝する!」と言って自らを鼓舞しています。実現しなかったからと言って入れ墨をすることはありませんが・・・。)
語/金文3000年前 |
吾/金文3000年前 |
ということで、この大事な誓い(願い)の言葉を入れた器( )は、どんなことがあってもしっかり守らなくてはなりませんでした。そのことを表すのが「語」という字です。語は「言」と「吾」との組み合わせです。「言」は誓い(願い)の言葉。「吾」は (さい)の上に型の頑丈なふたを置き、祈りの効果を守る形です。「語」は、固く守られた誓い(願い)の言葉を表します。(「吾」には「まもる」という訓があります。)
誓い(願い)のことばを絶対裏切ることはしないという強い姿勢を示す「言」と、それをどんなことをしても守りきることを示す「語」とを組み合わせると「言語」という熟語になります。白川先生は、「言」は神に誓う攻撃的な言葉なのに対して「語」は祈りを守ろうとする防御的な言葉。「言語」という言葉はその両方の意味を表しているとおっしゃっています。
確かに、「言語」には言葉の攻撃性と防御性の二重の性格があります。人を傷つけるような言葉の使い方は攻撃性を、言い訳をするような言葉の使い方は防御性を表しています。
さて、「言」は単独で用いられるだけでなく部首(言べん)として用いられることで、たくさんの漢字の中に入っています。小学校から中学・高校までで学ぶ常用漢字(2136字)の中に「言べん」の字は70近くもあります。その中から三つ紹介します。
誠/篆文2200年前 |
一つ目。「言語」という言葉のように、自分の言葉に責任を持ち、誓いを守り続ける人の心を表す漢字があります。それが「誠」という字です。「言べん」と「成功」の「成」=「成る」との組み合わせ。「成」は、作り終えた武器の戈に飾りをつけて祓い清めることを示す字です。そのように清められた心で神に誓うこと、その時の心を「誠」と言います。「自分の言葉に責任を持ち、誓いを守り続ける人」は誠実な人です。
話/篆文2200年前 |
二つ目。普段よく用いる字ですが、意外な成り立ちを持つ字。「話す」という時の「話」。
「言べん」と「舌」との組み合わせ。「言べん」は誓いの言葉。「舌」は「した」と読んでベロのことだと思いそうですが、そうではありません。古い字の形(上記の「篆文」参照)は「口」の上が「千」ではなく「氏名」の「氏」という字です。すなわち、「」。「氏」は大きなナイフの形を表す字です。 (さい)の上に大きなナイフがある形で、誓いの言葉の入った器をつぶそうとしている形です。祈りの効き目をなくすためにナイフで傷をつけるのです。
現在、「話」という字は「はなす・はなし」という意味で広く用いていますが、もともとは誓いの言葉を傷つけるように悪口や相手を攻撃するように話すことを表す字でした。「話」は言語の攻撃性を表す字でした。「話すこと」は、人の心を傷つけるかもしれないと心しながら語ることです。
説/篆文2200年前 |
三つ目。「説明」という時の「説」、「説く」という字です。「説」は、誓いの言葉を表す「言べん」と「(兌)」との組み合わせ。「兌」は神に仕える人(兄)の上に神様の気配が降りてくることを表す字です。神様への願い事が通じてよろこぶ様子を表しています。「りっしんべん」に「(兌)」と書いて「悦」=悦ぶという字にもなります。現在、「説」は「説明」・「解説」などのように「意見や考えをいうこと」を表す意味で用いますが、もともとは「誓い(願い)の言葉が神様に通じて喜ぶ」という意味が始まりでした。
放送日:2018年6月25日
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