化・甲骨

今日のラジオが「あなたの周りの変わった地名」というテーマでしたので、便乗させていただきます。

京都は古い街ですから、変わった呼び名の通り名や地名がいろいろあります。

最初に、京都駅を出て最初に目にする大通りの名前。「烏丸通り」。初めて京都に来た人が通り名で間違えやすい「からすま」。知らないと「とりまる」と読みます。「からす」は「(とり)」の字の中の横棒が一本かけている字ですが、旅行者はそんな微妙な区別はつきませんから、下調べがないとつい「とりまる」と読んでしまいます。烏丸通りに「烏丸丸太町」があります。ある人が「からすまるまるふとる町」と読んだというウソのような話もあります。

烏・金文1  烏・金文2

烏・於/金文3000年前

烏・金文3

烏/金文3000年前

(からす)」の古代文字は3000年前からあります。3000年前の人々も、鳥が農作物を食べにくる害に悩まされていたらしく、鳥を追っ払う方法として、カラスの羽を縄でしばって吊るしていたようです。その形が一番初めの「烏(於という字にもなりました)」という字だったようです。

さて、通り名では、烏丸通の一本東側の南北の通り名を「不明門通り」と書きます。「ふめいもんどおり」ではなく、「あけずどおり」と読みます。このように、通り名や地名で多いのが、その漢字はどう読むの?といったややっこしさです。

嵐山の奥にある奥嵯峨に「化野」という地名があります。「あだしの」と読みますが、「ばけの」と読んでしまいそうです。京都で地名に「野原」の「野」がつくと、古くは死んだ人を風葬にする場所が多いです。東には「(とり)()()」、北には「紫野(むらさきの)」、西には「化野(あだしの)」がありました。北の「紫野」は、今では大徳寺などのお寺のある閑静な場所ですが、古くは風葬の地でした。その道筋に「卒塔婆(そとば)」をズラリと並べた通りができました。京都を南北に貫く通り、「千本通り」です。数多くの「卒塔婆」が並べられていたので「千本」の名前がついたといわれています。

西の「化野」には、今は「化野念仏寺」というお寺があり、境内には八千体ともいわれる(おびただ)しい石仏があります。その石仏の周りにろうそくを立てて供養する「千本供養」がお盆の時期に行なわれます。

化・甲骨

化/甲骨3300年前

化・金文

化/金文3000年前

「化野」の「」の古代文字は、頭と足が逆になった死者が背中合わせに横たわっている形からできています。「化」は生気を失って変化することを表し、すべてのものは変化しながら生と死を繰り返していくので、「変化する」ことを表すようになりました。「化野」と名付けた人は、「化」の成り立ちを知っていたのでしょうか。「化野」は死者を風葬する地にふさわしいネーミングと言えます。

京福電鉄の嵐山線沿いに「車が折れる(車折)」と書く「くるまざき」という地名があります。駅のそばに芸能の神社として有名な「車折神社」があります。

同じ京福嵐山線に「太い秦氏の秦(太秦)」と書いて「うづまさ」と読む地名があります。弥勒菩薩(みろくぼさつ)で有名な広隆寺がありますが、この字も初めての人には難しいかもしれません。

京都の中には他に「物を集める女(物集女)」と書いて「もずめ」と読む地名があります。「神の足(神足)」と書いて「こうたり」と読む地名もあります。

このラジオ番組のパーソナリティーである岸田君には懐かしいはずの、「直違橋」と書く伏見区の通りの名前があります。伏見稲荷の門前を南北に通る道ですが、「すじかいばし」通りといいます。

その他に古い時代に由来する地名もあります。伏見桃山には「桃山長岡越中北町」、「桃山福島太夫南町」とか「桃山毛利長門東町」など秀吉が作った城下町にあった大名屋敷の名前が地名として残っています。「和泉式部町」という町名もあります。

堀川五条の近くに「天使突き抜ける町(天使突抜町)」と書く「てんしつきぬけちょう」という町があります。堀川五条から2~3筋ほど東に行った南北の通りを挟んだ場所にあります。豊臣秀吉の時代、その場所にあった五条の天神様は天から地上に(つか)(使)わされた神として「天使」と呼ばれていました。1590年、秀吉の京都の街の大改革によって、この天使社の境内を突き抜ける一本の道が新たに造られました。この新しい道が「天使突き抜け通り」その東西の町の名を「天使突抜」というようになりました。

他にもまだまだいっぱいありますが、今日はこれまで。

京都の地図を見ると飽きないといわれるくらい、特殊な読み方の通り名や地名が出てきます。平安時代から綿々と続く京都には由来の多い不思議な地名がいっぱいです。古代文字を探す旅も楽しいですが、地名探しの旅も面白いかもしれません。

放送日:2018年10月8日

外部リンク