聖・甲骨

12月22日は一年で一番昼が短い日=「冬至」でした。三千年以上前に漢字を生み出した中国の人々は「日時計」の観察から「冬至」の日をちゃんと知っていました。日の長さが徐々に短くなっていくのを生命力が弱まっていくようにとらえた古代中国の人々は、その日の長さが底に至り、再び日が伸びていく始まりの日として「冬至」を考えていました。

ですから、この日を境に生命力回復の新たな日が始まると考えた人々は、冬至を「年の初め=新年」と考えたのでした。古く中国では「冬至」の日が「新年の始まり」でした。

実は西洋でも時期は違いますが同じように考えられていました。勢いの弱まっていた太陽が再び光をよみがえらせる日として北欧では古くから12月の冬至の日に太陽(光)をまつるお祭りが各地で行われていました。

ローマ帝国でも12月25日に冬至を祝う習慣があったようです。3世紀(273年)になって、時の皇帝が12月25日を太陽神の誕生日と定めました。やがて、4世紀(336年or 345年)に至って、この祭日を「光の子」イエス・キリストの生誕を祝う日として定め、それ以後12月25日は「クリスマスの日」として定着していきました。冬至とクリスマスとは偶然日が近いということではなく、深いつながりがあるのです。

ということで、今日はそのクリスマスの前日「クリスマスイブ」。イエス・キリスト生誕の前夜ですから「聖なる夜」、「聖夜」とも言います。

聖/甲骨3300年前 聖/金文3000年前

そこで、「」と「」の漢字の成り立ちを紹介します。

「聖」は「耳」と「口」と「王」のパーツからできている字。音読みでは「セイ・ショウ」。訓読みでは「ひじり」と読む字です。「ひじり」は日本では徳の高いお坊さんをいう字ですから「知徳のすぐれた人、賢い人、神のような人(雰囲気)」をいうとても立派な字です。「聖なる人=聖人」とも用います。

その「聖」の字の一番古い文字は、大きな耳を持つ人を横から見た形になっています。背中あたりに「願い事を入れた器=口・篆文(口・さい)」があります。「耳」と「口」そして「王」のパーツが全部そろっています。

「王」は今「王」の字ですが、もともとはつま先立ちをして遠くを望む人を横から見た形です。「聖」は大きな耳を持つ人がつま先立ちしている姿を表しています。
ではなぜ「大きな耳を持つ人」なのでしょうか。それは、神の声を「よく聞くことのできる人」だからです。願い事を入れた(さい)を捧げ、つま先立ちして神に祈り、神様からのかすかな応答の声を聞くことができる「優れた耳」を持つ人こそが「聖」でした。

古代の賢い人は耳の優れた人でした。頭の回転が速い人でも口のうまい人でもないのです。神の声が聞けるくらいに人の思いに耳を傾けられる人、聴き上手な人でした。ですから、賢いという意味の「聡明」の「聡」にも「耳」が入っています。中国の孔子やギリシャのソクラテスのようにイエス・キリストも「耳の優れた人」だったに違いありません。人の話をわがことのように聞いてくれる人。そういう人だと思うと「聖夜」はイエス・キリストにはピッタリな気がします。

夜・金文1夜・金文2夜/金文3000年前 夜・篆文夜/篆文2200年前

さて、「」という字です。「夜」という字も不思議な字です。

古い文字(金文)を見ると、両手を広げて正面を向く人がいます。その人の腋(わき)の下に夕方の「夕」(月)がある形です。大の字に広げた手の下から夕方の月が見える構図です。「人の腋(わき)の下から月が現れている形で、月が姿を現すような時間帯を夜といい、『よる、よ』の意味に用いる。」と白川先生の字書『常用字解』には書かれています。そうして古代文字の「夜」と現代の「夜」をまじまじ見比べると確かに形を変えながらも大の字になった人と夕方の月(夕)とがそこにあるような気がしてきます。それにしても、人の腋の下から見えてくる月の構図がなぜ「よる」を象徴する形となったのでしょうか・・・実は謎です。是非推理してみてください。

「夜」という字はその中に「人」と「月」が入っている、不思議な成り立ちを持つ字ですが、クリスマスイブを「聖夜」と名付けてくれた人のセンスは素晴らしいです。「聖」の字の成り立ちを知っていたかどうかわかりませんが、クリスマスイブには「聖夜」という言葉がぴったりな気がしてきました。

それでは皆様、素敵な夜を!メリークリスマス!

*平成最後の年の暮れです。今年はこのコーナーも100回を迎えることができました。
耳を傾けていただいている皆様、1年間お付き合いいただき本当にありがとうございました。
一陽来復 良い年をお迎えください。

放送日:2018年12月24日