京都では例年より少し早く桜の花が咲き始めましたが、今日(3月23日)は春の彼岸の最終日、「彼岸明け」です。今年は彼岸の中日が3月20日。「彼岸の中日」は「春分の日」でもあります。その前後3日間を合わせた7日間(3月17日~3月23日)がお彼岸です。
仏教では「彼岸」は悟りの境地。その岸の前には「三途の川」のような川があり、手前に煩悩渦巻く「此岸」私たちの生きている世界があります。いかにして向こう岸、「彼岸」に達することができるのか、様々な修行=生き方を見直すことが行なわれてきました。
普段、精進していない私たちも、せめて年に2回春と秋、「彼の岸」にたどり着けるように精進しましょうというのが、この「お彼岸」の1週間ということです。ご先祖様を供養し、お墓参りをすることと共に、生き方を見直す週間なんですね。
とはいえ、今年はとてもそれどころではないかもしれません。でも、こういう時だからこそ日ごろの生き方を振り返ってみることも大事かもしれません。(宗派は何であれ!)
では、どんな修行(生き方の見直し)を行うのでしょうか。それが、「六波羅蜜」というものです。六つの修行(生き方の見直し)によって「波羅蜜(悟りの世界)」へ少しでも近づこうとすることです。
その六つの見直しとは、
- 布施・・・見返りを期待しない善き行いをしているか?人のために施しをしているか?
- 持戒・・・間違った生き方をしていないか、自らを戒め、見直しているか?
- 忍辱・・・悲しいこと、つらいことがあってもへこたれないで生きているか?
- 精進・・・常に努力をしているか?誠心誠意を尽くしているか?
- 禅定・・・どんな場面でも雰囲気に流されないで、冷静に判断しているか?
- 智慧・・・正しいことは何か(真理)を見分ける認識力・判断力を持っているか?
こういうご時世だからこそ、改めて一つ一つの修行の問い直しが重く響きます。マスクをネタに荒稼ぎする。トイレットペーパーでいさかいを始めるなどはもってのほかです。どんなことがあっても落ち込んでいてはいけない。そう思いつつも、つらい。正しいことは何なのか、それもわからず。悩めることが多く、煩悩多い身として、なかなか悟りへの道は険しいです。
お彼岸の期間は、「彼岸の中日」を真ん中にして前後併せて六日間。「六波羅蜜」の修行(生き方を見直すこと)を一つずつ行う日とされてきました。
さて、本来の「漢字の成り立ち」に入ります。六つの波羅蜜の中の「布施」の「施」。「持戒」の「戒」。「智慧」の「慧」を取り上げます。
施/篆文2200年前 |
「施」は「(えん)」と「也」との組み合わせ、「」は旗が風にはためいている形。「也」はこの場合は「シ」の「音」を表す役割。「施」は旗をなびかせているところから「なびく・なびかせる」の意味となり、そこから広く物事を「ほどこす」の意味へと移っていきました。仏教では「施す」ものはお金や品物(財施)だけではなく、温かい言葉をかける「言施」、明るく優しい顔で接する「眼施」、善い行いを誉める「心施」などがあります。
戒/甲骨3300年前 |
兵/甲骨3300年前 |
「戒」は「戈」と「廾」との組み合わせ。「戈」は武器の戈。「廾」は両手を表す。
「戒」は、戈を両手で高く上げている形からできた字で、武器を取って戦いの準備をし、用心することをいう。戦いに「そなえる」の意味から、のち、ひろく心を引き締め、過ちを犯さないように注意するという「いましめ」の意味に用います。両手で斤(斧)を振りかざしている字が「兵」で、同じ構造を持つ字です。
慧/篆文2200年前 |
彗/篆文2200年前 |
「智慧」の「慧」は「彗」と「心」との組み合わせ。「彗」は手に箒を持つ形。「彗星(ほうきぼし)」のような星の光、ほのかに光るものという意味があり、「彗」は「さとい、かしこい」の意味に用います。「恵」と通じ、智慧は知恵とも書きますが、智慧が本字です。物事の本質を鋭く見抜く力を「慧眼」といいます。そんな眼を持ちたいものです。
さて、今日は「お彼岸」の最終日=彼岸明けの日。六日間に六つの生き方を見直すとしたら、最終日は「智慧」についてということになるのでしょうか。自分はどんな智慧をつけているのか、ぜひ振り返ってみたいものです。後の五つは終わってしまいましたので、秋のお彼岸の時に振りかえって見てください。
放送日:2020年3月23日
コメントを残す