田・甲骨

5月も下旬になりました。京都の嵯峨野辺りではではちょうど田植えのシーズンを迎えています。先週の土曜日、京都の北西、大覚寺に近い広沢池(ひろさわのいけ)の周辺では、田に水が張られ、田植えを待つばかりに整えられていました。そんな「田植えの季節」にちなんだ漢字、田んぼの「」にまつわる字を、今回は取り上げてみようと思います。

田・甲骨

田/甲骨3300年前

町・篆文

町/篆文2200年前

田んぼの「」はシンプルな字ですが、漢字の世界では「生きた化石」と呼んでもいいくらいの貴重な漢字の一つです。それは、漢字が生まれてからこの方、ほとんど形を変えずに、用いられてきた漢字だからです。既に3300年以上の間、ほぼ今の形のまま用いられてきました。はるか昔から、田は四角く区切られていたことが古い文字からわかります。

その田と田とを分ける「あぜ(道)」のことを「町」と言いました。「」は「田」と「丁」との組み合わせ。「丁」は、「くい、(くぎ)」のもとの字です。「丁」は、「くい」のように区切りを示す目印に用いられていたのかもしれません。現在でも、「〇丁目」という言い方の中に、区切りを示す意味が残っています。

畔・篆文

畔/篆文2200年前

略・篆文

略/篆文2200年前

「あぜ」は、「田」と「半」とを組み合わせた「畔」とも書きます。「(あぜ)」です。「半」は牛を二つに分ける形の字で「わける」という意味があります。こちらも「区切る」という意味が入った字です。

」は、後に、田んぼの広さやたくさんの人々が住む場所の意味で用いられるようになります。多くの人々が住むようになると、その場所を治める人が出てきます。現在、「省略」とか「略す」などという時に用いる「」という字には、田んぼの田が入っています。その「略」は、もともと土地の境界を定めて経略すること。「治める、いとなむ」ことを意味する字として用いられていました。

土

土/甲骨

土・金文

土/金文

里・金文

里/金文3000年前

さて、田んぼが作られ、広がっていくと、田んぼの中心地には「土地の神」を(まつ)る社が建てられました。最初は、土を盛り上げて、神をお招きするだけの単純な方法でした。それを表すのが「」という字です。のち、神をお迎えする「(やしろ)」という字ができます。

その大切な「土地の神」を祀る場所を、「田」に「土」と書いて「」と言いました。「(さと)」は土地の神様を祀る中心の場所を表す字でした。

男・金文

男/金文3000年前

協・篆文

協/篆文2200年前

田植えをするまでの農作業と苗を植えてからの稲の管理は「」の人の仕事でした。「男」という字は、「田」と田を耕すための「犂・耒(すき)」を表す「力」という字からできた字です。「男」は力仕事をする人というだけでなく、田を管理する管理者の意味もあったと白川先生はおっしゃっています。

田を耕す時の道具=「犂・耒」の形の「力」を三つ組み合わせた字が「協力」の「」です。春の「田起こし」から始まる農作業の準備を、人々は、助け合いながら、協同で進めることが多かったことをうかがわせます。「協」は、もともとは農作業をする時に力を合わせて耕すことから、力を合わせて物事をする、助ける、心を合わせる等の意味で用いられるようになりました。

留・金文

留/金文3000年前

留・古文

留/古文 約2700年前

苗を植えれば、無事に育てるための水の管理も大切です。水をためて田んぼに水を行き渡らせるのも男の仕事でした。田地に水がたまることを「」と言いました。「留」は「 留・パーツりゅう(りゅう)」と「田」との組み合わせ。「留・パーツりゅう 」は水流の(かたわ)らに水たまりができている形。「田」は田んぼ。現在は広く、「とどめる、とどまる」などと用います。「留」が田んぼをルーツとした字であることは忘れられていますが、「水がたまる」の「たまる」という漢字「()(まる)」の中に、確かに残っています。

田につながる漢字はまだまだあります。田のようなシンプルな漢字こそ、生活に根差した字だったので、様々な字を作る要素となって広く使われていきました。現在の漢字のルーツを探ってみると、予想外の場所に連れて行ってくれることがあるのも、「成り立ちを探る」楽しみの一つといえます。

今年は、コロナ禍での田植えですからいつも以上に大変なことも多いかと思います。どうか秋には実り多い刈り入れができますよう、これ以上自然の災禍がないことを心から願います。

放送日:2020年5月25日