前回(第136回)、「田んぼ」の「田」という字をパーツとした漢字をいくつか紹介しました。「田」が入っていれば、田んぼの田と関係している字かというと、そうとばかりも言えないのです。
3000年以上も漢字が使われてくると、もともとは「成り立ち」が違う字だったのに、形が似ていたために、長い経過の中で、いつの間にか、「田」という形のパーツになった字がいくつもあるのです。ですから、田んぼの「田」の字が漢字に入っていても、いつも「田んぼ」と関係しているとは言えないということを頭に置いておく必要があります。
では、今回はそんな漢字の代表例を紹介します。
雷/金文 3000年前 |
雷/篆文 2200年前 |
一つ目は、「雷」という字です「雨かんむり」の下に「田」と書きます。私も小さい時、田植えが済んだ田んぼの上で雷は鳴るので、「雷だ!」と教えてもらった気がします。
しかし、雷の田は古い文字(金文)を見ると違います。古い「雷」の字(金文)には、〇に十の文様の形が四つも入っています。その後、三つになります。確かに、雷の旧字体は「 」と書きました。しかも、もともとは□ではなく〇の中に十と書きました。これは何を表しているのでしょう。
白川先生によると、雷の古い字(金文)の「 」は、縦横に拡がる稲光。そして「 」は、音を表しているのではないかと推測されています。
雷の特徴といえば、「稲光」と「音」です。その音を電電太鼓の「太鼓」のように表したというわけです。稲光と稲光の間から、音が四方に拡がっていく様子が、〇に十のマークを四つ書いて表されました。やがて、周りの丸みが取れ、四角くなり、現在の「田」の形となりました。雷という字の「田」の出どころは、雷の「音」を表す形から生まれたというわけです。(参照:第1回ラジオ)
思/篆文 2200年前 |
/篆文 2200年前 |
二つ目は「思う」という時の「思」です。「心」の上に「田」ですから、どうして、田んぼの「田」がこんなところにあるのか、不思議だと思いませんか。
「思」の古い文字(篆文)を見ると、どう見ても田んぼの「田」ではありません。白川先生によると、これは人間の頭の部分〈 (しん)=幼い子供の脳みそ〉を表しているそうです。「思」は心の上に頭が乗っている形です。それは、頭を悩ませるおもい=心情なのです。
念う(心深くおもう)・想う(見えないものをおもう)などいろいろな「おもう」がある中で、まるで頭を掻きむしりたくなる、そんな思いを表す言葉です。「思」の中にある「田」は、丸い頭の形の中に「×」の形=脳みそが詰まっていることを表します。(「×」は小さな子供の「ひよめき(縫合線)」を表しているという解釈もあります。)どうしていいかわからないとき、失敗をしてしまったと思って頭を抱えるときのあの「おもい」方が、「思」のもともとの意味でした。
異/金文 3000年前 |
鬼/甲骨 3300年前 |
さて、最後は、「異なる」の「異」です。「異」は「田」と「共通」の「共」との組み合わせです。今度の「田」は何でしょうか。
古い文字を見ると、「田」の下の「共」という字は両手を広げた人間の姿をしています。その上に「田」が乗っています。ということは、この田は「人の顔」です。しかも、この顔は自分たちが知っている顔の姿ではないのです。自分たちとは「ことなる姿の人」です。自分たちとは顔かたちが違う人の姿、それが、「異なる」という字のもとでした。
異形の人(異なる顔の人)が正面を向いている姿が「異」、異形の人が横を向いている姿が「鬼」です。見たこともない人の顔・形こそが、「鬼」の始まりでした。そんな、得体のしれない人を畏れたのでした。
畏/甲骨 3300年前 |
「田」の成り立ちが「田んぼ」の「田」ではない代表的な字を見てきました。もともと、成り立ちの違った字が、形が似ていたために、「田」に集約されていきました。「田」の字が単純で書きやすいこととも関わっていたかもしれません。まだまだ、これらの字以外にもいろいろあります。是非探してみてください。
放送日:2020年6月8日
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