時・篆文

秋は時の流れを強く感じさせる季節です。今年もだいぶ経ったなとか、早く過ぎたなといった思いにふけるのも、秋だからかもしれません。紅葉が始まり、木の葉が散るころになれば、さらに感慨は深くなります。そこで、今日は過ぎゆく時の流れの「」という字の成り立ちから始めます。

時・篆文

時/篆文2200年前

「時間」の「時」という字は「日」と「寺」との組み合わせです。「日(太陽)」が時間を表わすというのはわかりますが、「寺」はどうかかわっているのでしょうか。

「寺」は「じ」という読み方(音読み)を表わすだけの役割で、意味は、太陽の動きで時間を知る「日」のパーツの方で表しているのだという考え方があります。しかし、白川先生は、「寺」には単に「(おん)」を表わすだけではない役割があるのではというふうに考えておられました。

寺・金文

寺/金文3000年前

寺・篆文

寺/篆文2200年前

」という字は「土」と「寸」との組み合わせです。古い文字を見ると、「土」の部分は、「つち」の「土」ではなく、意外なことに「足跡の形」からできたパーツです。もとは、「ゆく」という意味を持つ「之(足跡の形)」という字でした。では、「寸」は何でしょうか。古い文字は「手の形」を表わしています。つまり、寺はもともと「足跡」と「手」とを組み合わせた字でした。*「之」は人名の「孝之」・「信之」のように「ゆき」と読みます。

では、足跡と手との組み合わせで何を表わしたのでしょうか。白川先生は「もつ」という意味を表わしていたと考えられています。手で何かを持って動いてゆく姿、手で何かを持ち続けている姿、それが「足跡」と「手」を組み合わせた「寺」という字だというわけです。

その「もつ」を表わす「寺」が、ある時から「役所」の意味へと変わります。さらに、「役所」の意味から「外国からやってきた使節が滞在する所」という意味に変わり、最後に、今私たちが使っている「僧侶が滞在する所(=てら)」という意味へと変わっていきました。(どうしてそうなったのか詳しいことはわかっていません。)「寺」がそのように変化してしまったので、もとの意味を表わす字「扌(てへん)に「寺」の「持」ができたのです。

これで、「時」の意味へとつなげられます。手で何かを持ち続けるように、時間がずっと流れ続けていく姿を重ねたのです。「日」で表される時の流れを、ずっと掌の上で持ち続けるイメージです。それが、「時」という字でした。

待・金文

待/金文3000年前

「時」が、時間を持ち続けるイメージで使われたように、「寺」には「ものを保有し、その状態を持続する」という意味がありました。「状態を持続する」という意味から「まつ」という意味に使われるようになりました。それが「寺」に「彳(ぎょうにんべん)」をつけた「待つ」という字です。

志・篆文

志/篆文2200年前

詩・篆文

詩/篆文2200年前

最後に応用編です。「寺」の上の側のパーツは「足跡の形(歩いてゆく)」ことを表わしていました。それと同じように「心」という字の上側に「足跡の形」を乗せた字があります。心が歩いてゆく方向=心が指し示す方向を示す字です。それが「」という字です。「心が指し示す方向」が「こころざし」なのです。

中国最古の詩集『詩経(毛詩)』の序文にこんな一節があります。「詩は志のゆく所なり。心に在るを志となし、言に発するを詩となす」と。詩は人の心が指し示す思いを表わすもの。心の中にあるうちは「志」といい、それが言葉となって表わされたものが『詩』であると言います。「詩」という字の中にある「寺」は心のゆく所=目指す所を表わしています。それが言葉として発せられたら、「詩」であるといいます。「詩」の本質をついていると思いませんか。詩はいつでも「心の叫び」ですから。

様々な心の中の思いを言葉で「記録する・しるす」という意味で「言(ごんべん)」に「志」と書く、日誌の「」という字も生まれました。

「寺」は時の流れとともに、もっぱら「お寺」の意味で用いられるようになりましたが、実は「持つ(保有する)」や「時、待(持続する)」という字の中にある「寺」の使い方の方が、もともとの意味を残しているのだということを知っていただけたら嬉しいです。

放送日:2020年10月26日