駄・篆文

今日のラジオテーマ「駄菓子」に便乗します。駄菓子は、子どもの食べる安い菓子、安物の菓子等の意味で用いられることが多いですが、それは「」の意味からきています。では、なぜ「駄」が安いとか安物という意味を持っているのでしょうか。

駄・篆文

駄・駄・旧字/篆文2200年前

」の成り立ちから説明します。この字は学校で習う漢字(常用漢字)ではないので、書けなくてもかまわないのですが、意外に簡単な字です。「馬」と「太」との組み合わせです。しかし、古い字(篆文)を見ると、もともとは「馬と大」からできた字だったことがわかります。

「駄」は、今は太った馬のように思いますが、大きな馬のことでした。体の大きな馬は荷物を運ぶのに適していました。ですから、「駄」は、馬に荷物を背負わせること、あるいは、荷物を運ぶ馬という意味で用いられていました。「駄馬」とは荷物を背負って運ぶ馬のこと。「駄賃」とは馬が荷物を運ぶ時のお金(運賃)の意味でした。

成り立ちからいうと「駄」はもともと安いとか安物とかつまらないといった意味を持っていたわけではありません。いつの時代か、「荷物を運ぶ馬」を「人を乗せて走る馬」と比べて一段低くとらえる見方をしたために「劣った、つまらない」といった意味を持つようになったのです。無駄、駄目、駄洒落、駄作、駄文そして駄菓子などと「役に立たないさま、価値の低いもの」といった意味で用いられるようになりました。人間のために重い荷物を背負って働いてくれていた駄馬のことをこんなふうに扱うとはなんとも申し訳ない気がしますが・・・・。

馬・甲骨

馬/甲骨3300年前

馬・金文

馬/金文3000年前

馬・篆文

馬/篆文2200年前

さて、古代中国の人々にとって「馬」は身近な動物であり、漢字ができた3300年前からすでにありました。古い馬の漢字(甲骨・金文)は、長い顔とたてがみの馬の身体的特徴をうまく生かした象形文字となっています。1000年も経つとずいぶんデザイン化して、現在の字に近づきますが、たしかに現在の字も上側の三本の横線にたてがみの形が残っています。4つ点は、古代文字の変遷を見ていくと前の2つが足、後ろの2つは尻尾が変形していった形のように見えます。(でも、甲骨から1000年以上も経った篆文を使っていた人たちは、4つ点を馬の4本の足を表していると思っていたかもしれません。)

いずれにせよ、「馬」という漢字が生まれるとその「馬」をパーツとした新たな漢字がいくつも作られていきました。「駄」もその一つでした。

駿・篆文

駿/篆文2200年前

駅・篆文

駅/篆文2200年前

駐・篆文

駐/篆文2200年前

馬の第一の特徴は足の速さです。その足の速さから乗り物をとして欠かせない存在でした。戦場でも、急ぎの用事でも馬は使われました。荷物を運ぶ「駄(馬)」がおれば、人を背に乗せて飛ぶように走る馬もいました。その速くて優れた馬のことを「駿(馬)」と言いました。宿場宿場に馬がいて、その馬を乗り継ぎながら目的地に向かう交通制度がありました。それを「駅伝」と言い、その乗り継ぐ場所を「」と言いました。乗り継ぐ馬を「休ませる・とどめる」ところを「駐車場」の「」と言いました。

馬は交通手段の要でした。そう考えると、どの馬よりも速く走る「駿」は憧れの的。荷物を運ぶ「駄」はいささか見劣りする存在というふうに見られていったのかもしれません。

驚・篆文

驚/篆文2200年前

験・篆文

験/篆文2200年前

馬の第二の特徴は神経質なところです。馬は非常に神経質で敏感なところがあり、ちょっとしたことにも反応することから、「おどろく、びっくりする」という意味の「」という字の中にいます。その敏感さはどこから来るのか、古代の人々は、おそらく馬は、目にみえない神さまの気配(霊気)を感じやすい性質があるのだというふうに考えました。

そこで、神様の気配を敏感に感じ取ることのできる馬に神様の意向を確かめさせる神事を務めさせました。日本では、今も2頭の馬を競わせてその年の吉凶を占う神事=競馬(くらべうま)や的を射る流鏑馬(やぶさめ)などが行なわれています。また、神社には神の使いとして「神馬」が飼われていたり、「絵馬」に願い事を書く風習が残っていたりします。「競馬」等によって神の意向を「ためす、しらべる」ことから「実験・試験」の「」という字も生まれました。

馬の入った漢字は、他にも「騒・騎・駒・駆・騰・罵」などが常用漢字にあります。馬のもつ特徴から様々な漢字が生まれていったことがわかります。

放送日:2021年8月9日